中山城(なかやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 後北条氏
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : JR吾妻線中之条駅よりバス
       「五領口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           天正十年(1582)の天正壬午の乱において、白井城から中山盆地に進出した北条勢
          によって築かれたとされる。城将には赤見山城守が置かれたが、同十四年(1584)、
          真田昌幸によって奪取された。昌幸は家臣林弾左衛門らを守将とした。
           遅くとも天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅ぼされた際に、役目を終えて
          廃城となったものと考えられているが、詳しい歴史については定かでない。


       <手記>
           中山城は中山盆地の中央に突き出た舌状台地を利用して築かれています。遺構が
          とても良好に残り、とくに東側は城外からも堀や土塁がはっきり見えることから、中世
          城郭ファンにはたまらない城跡となっています。また、北条氏後期の築城であるという
          ことから、北条ファンにとっても聖地視されているようです。ただ、実際には北条氏より
          真田氏に所属していた期間が長いですが。さらにいえば、白井城が北条氏に押さえ
          られていたため、真田氏にとっては沼田領と吾妻領を結ぶ唯一のルートの拠点という
          ことになります。すなわち、両氏どちらにとってもクリティカルな城といえるため、最終的
          な完成者は真田氏と考えるべきでしょう。
           多くの城好きを魅了している城跡ですから、私がここで多くを語る必要はないでしょう。
          とにかく堀の深さと切岸の高さには感動させられます。舌状台地を利用していながら、
          主郭が台地先端ではなく右辺中途に設けられているという特徴がありますが、これは
          おそらく沼田城救援にやってくる真田氏本隊に備えたものでしょう。
           私が訪れた時には、南側向かいに建設されていた道の駅が半ば完成といった状態
          だったので、これからますます観光しやすく整備されていくのではないでしょうか。

           
 南麓の城址碑と説明板。
 車で来る場合もここに停められます。
北東城外から城跡を望む。 
2本の堀に挟まれているのが本丸。 
 主郭の城址モニュメント。
本丸北西隅方面を眺める。 
 本丸北辺の虎口跡。
本丸北辺の空堀。 
 本丸南辺の虎口跡。
本丸南辺の空堀。 
 本丸の堀底。
堀底から本丸切岸を見上げる。 
 本丸北の帯曲輪(二の丸か)の空堀。
帯曲輪北辺の空堀。 
 帯曲輪南側の広い曲輪(三の丸か)から本丸方面を望む。
三の丸(?)南辺の堀跡の堀底道。 


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