武田信俊公館(たけだのぶとしこう)
 別称  : 武田信俊館、武田氏陣屋
 分類  : 平城
 築城者: 武田信俊
 遺構  : 不詳
 交通  : 小川町駅または熊谷駅からバスに乗り、
      「上横田」下車徒歩3分


       <沿革>
           武田信玄の甥にあたる武田信俊の陣屋跡とされる。信俊の父信実は信玄の弟で、甲斐国
          河窪城に所領を与えられ河窪氏を称した。信俊は天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると、
          徳川家康に仕えた。同十八年(1590)に家康が関東へ移封となるとこれに従い、比企・賀美
          2郡に知行を受けて横田村に居住したとされる。
           慶長十三年(1608)、信俊はすでにあった安養寺を廃し、新たに父と一族の菩提寺として
          輪禅寺を建立した。その後、旗本武田家は5700石余まで加増され、元禄十年(1697)には
          知行替えとなり当地を離れたとされる。なお、『日本城郭大系』等では「武田信俊公館」とされ
          ているが、信俊自身は終生河窪の姓を用いたとみられ、武田氏に復姓するのは孫の信貞の
          代になってからのことである。


       <手記>
           旧上横田村宮脇の輪禅寺が信俊の館跡とされています。本堂西側の高台には、武田一族
          の墓石が立ち並ぶ墓域があります。祖先の墓所が見下ろす境内に館があったとする推測は
          十分成り立ちますが、直接武家の城館につながるような遺構は見受けられません。
           同寺は、南北に浅い谷戸が入り込む細長くて緩やかな舌状の台地です。要害性はさして
          ありませんが、とくに前面の谷戸は田を開くのにうってつけであったものと推察されます。
           輪禅寺の少し東の旧家は、背後に土塁があり、脇は切通しとなっていて、こちらも城館跡
          のような様相を呈しています。江戸初期の陣屋なので、遺構が残っていることを期待しては
          いけないかもしれませんが、いずれにせよ墓域の東方のどこかに建っていたことは想像に
          難くありません。

           
 輪禅寺。
境内西側の高台にある武田氏一族の墓域。 


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