武石館(たけいし) | |
別称 : 武石城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 武石長胤 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : JR総武本線幕張駅または 京成本線京成幕張駅徒歩15分 |
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<沿革> 千葉常胤の三男胤盛は、千葉郡武石郷に入植し、武石三郎を称した。武石館は胤盛に よって築かれたとされる。素加天王社の言い伝えによれば、胤盛は気が短く、父や兄から 疎まれていたため山間の神原というところに籠っていたが、弟の(大須賀)胤信が気の毒 に思い、武石の領地を分け与えたとされる。 胤盛は父らとともに源頼朝のもとに馳せ参じ、文治五年(1189)の奥州合戦の功により 宇多・伊具・亘理の3郡に所領を得た。胤盛の子孫のうち、奥州へ移った一族は亘理氏の 祖となった。 胤盛の曽孫にあたる長胤は、弘長年間(1261〜64)に長作村へ居を移した(長胤寺館)。 武石館も併用されたと思われるが、詳細は不明である。 天文七年(1538)、第一次国府台の戦いにおいて武石氏当主の胤親と、続柄は詳らか でないものの、一門とされる武石有胤が討ち死にした。あるいは、この有胤が武石館の 主とも考えられるが、確証はない。2人の戦死により大身領主としての武石氏は滅んだ とされ、武石館もこのときまでには廃されたものと推察される。 <手記> 武石館は、花見川に臨む台地の角に位置しています。麓には、胤盛が開いたとされる 真蔵院があり、その境内の、長胤が祀ったとされる浪切不動尊の脇から登ることができ ます。 登りきる手前に、腰曲輪のような小区画があり、小さな祠が数基並んでいます。登山路 にも、2か所ほど虎口状の地形が見られるのですが、これらが城の遺構かどうかは判別 が困難です。 登りきった先は広々とした休耕地の更地で、城館跡を感じさせるようなものはとくにあり ません。城館があったなら堀や土塁も備わっていたと思いますが、それらしきものは全く 見当たりませんでした。 |
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真蔵院。 | |
不動尊から登る途中の墓地。 曲輪跡か。 |
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虎口跡か。 | |
土塁跡か。 | |
比定地現況。 |