滝川三郎兵衛城
(たきがわさぶろべえ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 滝川三郎兵衛か
 遺構  : 土塁跡か
 交通  : 伊賀鉄道丸山駅徒歩10分


       <沿革>
           天正六年(1578)、伊賀の領国化を目論んだ北畠信意(後の織田信雄)は、家臣滝川
          三郎兵衛友足(後の雄利)に丸山築城を命じた。滝川三郎兵衛城は、丸山城の支砦か
          築城に際しての指揮所兼居所であったものとみられる。ただし、新造したものかもともと
          あった城館を取り立てたのかは不明である。
           同年七月ないし十月、伊賀衆は完成前の丸山城を急襲し、三郎兵衛らは城を棄てて
          伊勢へ逃げ帰った。これにより滝川三郎兵衛城も廃されたと思われるが、確証はない。


       <手記>
           滝川三郎兵衛城は、南向かいに丸山城を見据える丘の上にあったとされています。
          南西の貯水池から登れますが、墓地(予定地?)として開発されていて、遺構はおろか
          旧地形も把握できません。
           丘の裏手へ少し分け入ってみましたが、自然地形の尾根が続くだけでした。おそらく、
          伊賀特有の単郭方形の城館だったのではないかと思われます。そうなると、墓地背後の
          横一直線の高まりが、あるいは土塁を利用したものなのではないかとも考えられます。

 城氏館跡前から丸山城跡(左)と
 滝川三郎兵衛城跡(右)を望む。 
滝川三郎兵衛城跡現況。 
 墓地背後の高まり。土塁跡か。
墓地裏手のようす。 
はや自然地形のようです。 


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