田中江城(たなかえ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 永原氏か
 遺構  : 堀
 交通  : JR東海道本線近江八幡駅よりバス
       「田中江」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           永原城主永原氏の支城で、文明年間(1469〜86)の築城とされる。永原官六や岡野加賀守が
          城将を務めた。廃城時期は不明だが、六角氏が滅び、永原氏が永原城を去った永禄十一年(15
          68)ごろと推測される。
           また、称念寺には佐々木盛綱を匿った等の伝承が残り、『中世城館調査報告書集成』ではこれ
          をもって称念寺周辺を田中江城址とする根拠としている。盛綱が身を隠したというのは、平治の乱
          での敗北に伴うものと推測されるが、『集成』の推測が正しいとすれば、鎌倉時代までには何らか
          の城館が営まれていたということになる。


       <手記>
           称念寺南側の門前と西辺に、堀が残っています。寺に必要とは思えない形状の堀ですので、
          城に伴うものと思われます。また、寺の東に細長い長方形の水路に囲まれた区画があり(上の
          地図でも北と西の水路が確認できます)、やはり城の一部と推測されます。この区画の東端は
          江戸時代の朝鮮人街道に接し、西端には八幡神社が鎮座しています。
           八幡神社には船寄社も合祀されているそうです。田中江は、古くは琵琶湖と水路で結ばれた
          湖港の町だったそうです。現在残る水路から単純に考えると、まさに八幡神社の付近に田中江
          の港があったのではないかと思われます。琵琶湖からはやや内奥にある上永原城の永原氏に
          とっては、街道と湖港に挟まれた田中江城は重要な拠点であったものと推測されます。

           
 称念寺門前の堀。
八幡神社西側の堀。 
 朝鮮人街道に面した北東隅の堀。


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