太郎ヶ城(たろうが)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 国枝為助
 遺構  : なし
 交通  : 養老鉄道北池野駅徒歩10分


       <沿革>
           文明年間(1469〜86)に国枝大和守為助が田村(現・安八郡神戸町)から移り住み、太郎ヶ宮
          の西に居城を築いたのが始まりとされる。国枝氏は西美濃三人衆のひとつ安藤氏(伊賀氏)の
          庶流とも加藤氏の一族ともいわれ、出自は詳らかでない。明応四年(1495)に始まる船田合戦で
          為助は石丸利光方の副将として出陣したが、中野の戦いで斎藤利国(妙純)方に敗れ、弟4人と
          ともに討ち死にした。
           国枝氏自体はその後も土豪として存続したが、この間いずれかの時期、早ければ為助の在世
          のうちに本郷城へ居城を移した。移転後の太郎ヶ城の扱いについては不明である。


       <手記>
           上図に示した温知小学校裏手の角に立派な石碑が建てられています。ただし、ここはギリギリ
          城域外で、校舎の下を南辺の堀が通っていたようです。すなわち城の中心部は校舎および隣の
          駐車場から北側の畑地で、字を大和林といいます。遺構はありませんが、発掘調査の結果南北
          108m・東西88mほどの方形城館であったと推察されています。

           
 城址碑。
南辺の空堀跡にあたる駐車場。 


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