田代城(たしろ)
 別称  : 田城古城
 分類  : 平山城
 築城者: 内藤秀勝
 遺構  : 石塁跡
 交通  : JR相模原線淵野辺駅または小田急線厚木駅よりバス
       「田代坂上」または「中学校前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編相模国風土記稿』によれば、後北条氏の家臣内藤下野守秀勝によって、
          弘治年間(1555〜58)ごろに築かれたとされる。『小田原衆所領役帳』には秀勝の
          子の三郎兵衛秀行の名が記されており、少なくとも内藤氏2代が拠っていたものと
          みられている。
           永禄十二年(1569)の武田信玄による小田原攻めとその撤退戦である三増峠の
          戦いに際して、田代城は武田勢によって攻め落とされたと伝えられる。その後の
          田代城についても不詳である。


       <手記>
           北から延びる山塊の峰の先端に築かれた城です。西は蛇行する中津川によって
          形成された断崖となっていて、南麓には中津川の氾濫原が展開しています。川を
          挟んですぐ対岸には細野城があり、2つの城は対となって内藤氏の支配・経略の
          拠点となっていたものと思われます。
           愛川中学校の西側一帯が城域とされていますが、遺構は明瞭ではありません。
          学校の北西隅と川との間あたりがこんもりとした丘となっていて、城内の最高所と
          思われます。この丘には、鬼門除けと伝わる八幡社が祭られています。周辺には
          「馬場」や「うまや」といった城にまつわる小字が残っているということです。
           「合戦みち」に面した中学校の南西隅に説明板がありますが、なぜか読みにくい
          ことこの上ない位置に立っています。

           
 中津川越しに田代城址を望む。
中学校南西隅の説明板。 
 田代城内最高所の丘(八幡社の丘)を望む。
鬼門除けと伝わる八幡社。 
 おまけ:三増峠合戦場碑。


BACK