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館の城(たて) |
別称 : 楯の沢砦、東木戸、宮平館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 三田氏か | |
遺構 : 土塁、空堀、土橋 | |
交通 : JR青梅線宮ノ平駅徒歩5分 | |
<沿革> 辛垣城の支城として三田氏によって築かれたと考えられているが、詳細は不明である。 『青梅郷土誌』には、二俣尾に「西木戸」と呼ばれる地があることから、館の城はこれに 対応する「東木戸」ではないかとする見解が示されている。 また『皇国地誌』には、「元和寛永ノ頃田辺清右衛門惟良ト云ヘルモノ 居住セシ地ナリ ト云ヘリ。」とある。田辺氏は武田氏旧臣といわれ、館の城との関係は不明である。 館の城の南西にある明白院の山門は、館の城の城門を移築したものと伝わる。明白院 は、三田氏旧臣野口刑部丞秀房によって、天正年間(1573〜92)に創建されたとされる。 野口氏と館の城の関係もまた詳らかでない。 <手記> 館の城は南に多摩川本流、西と東をそれぞれ西ノ沢とタテノ沢に挟まれた要害の地に あります。「館」と呼ばれるところにあるため館の城と呼ばれるに過ぎず、当時の名称は 不明です(そもそも「館(楯)」という言葉自体に城の意味がありますから)。 三田氏の詰城である辛垣城と麓の二俣尾地区に向かう喉口部にあたり、山肌と川の 間が狭まった場所になります。ここを封鎖すればm二俣尾への侵入は困難となるため、 館の城を木戸と見る『郷土誌』の見方は十分可能性があるといえます。 宮ノ平駅を東に向かい、最初の踏切から丘上へ進めば、間もなく城跡に到着します。 堀底道のような山道を登ると、錆びついて読めない標識があり(「火」という字が辛うじて 見えるので、城址関連ではなく山火事注意のようなものと思われます)、そこから東へ 雑木林を分け入ると、すぐに空堀と土塁が現れます。上の地図に直線で示した部分です が、一部櫓台状にせり出しているので、実際には鉤状に折れています。 東西の沢の中間あたりに、土橋と虎口があります。それを渡った南側が主郭と思われ ますが、4軒ほど住宅が並んでいて、遺構の確認は困難です。さらにその南に城地が 続いていたものと推測されますが、JRの線路と国道が走っているため、もはや旧状は うかがいようもありません。線路と道路を挟んだ多摩川の河岸あたりに居館があったとも いわれますが、こちらは住宅地となっているためやはり検証はできません。 館の城の不思議なところは、両側を切り立った谷川に挟まれた天然の要害であるにも かかわらず、その丘の上にわざわざ方形の区画を設けている点です。この方形区画が おそらく中心部と思われますが、せっかくの要害地形をまったく生かしていません。この ことから、館の城は第一義的には戦闘目的の城ではなく、やはり木戸やあるいは関所 に近い施設だったのではないかと推測されます。街道は、ここで城と多摩川に挟まれて 通過せざるを得ず、街道監視の目的でここに関所のような施設が設けられたいうのが、 館の城の実態ではないかと私は推測しています。 |
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館の城の空堀と土塁。 右手が櫓台状にせり出しているので、 画面中央でクランク状に折れています。 |
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空堀のようす。 | |
土橋と虎口。 | |
明白院の山門。 館の城の城門を移築したものと伝えられています。 |