田山西ノ城(たやまにし)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 西城氏
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口
 交通  : JR関西本線月ケ瀬口駅から車で7分


       <沿革>
           土豪・西城氏によって築かれたとされる。西城氏の出自は不明だが、田山の属する有市荘の
          荘園支配に対抗して、仲元座や供日座という農民組織を率いたといわれる。『日本城郭大系』
          には、元弘の乱に際して後醍醐天皇に味方したとあるが、その後の動静は定かでない。
           『田山村誌』によれば、大永年中(1521〜28)に田山康高なる人物が居住していたと伝わる
          とされる。


       <手記>
           田山は梅で有名な月ヶ瀬の北に位置する地域で、西ノ城は文字通り集落の西側の小峰上に
          あります。山上には民家があり、南の峠道から西側へ回り込むように山肌に取り付いて登ると、
          各2つほどの腰曲輪や虎口状地形を抜けて、馬出し状の副郭に出ます。馬出し状というものの、
          主郭側には虎口がなく、大手は集落のある東方に開いていたのでしょう。
           主郭はおそらく伊賀式の方形曲輪であると思われますが、民家敷地となっており、西辺および
          北辺の土塁を外から眺めるにとどめました。副郭の北側虎口から主郭の北辺にかけて、規模の
          大きな横堀が延びており、見どころの一つといえます。
           全体としてコンパクトながら比較的まとまった構造をしていますが、基本的には東に隣接する
          伊賀の影響を受けているといえるでしょう。西城氏が南北朝時代に没落したとすれば、西ノ城の
          実質的な築城は田山康高前後のこととみるのが妥当と思われます。
           また東向かいには、宮本座を率いたとされる東城氏の田山東ノ城があります。

 東から田山西ノ城跡を望む。
南西の腰曲輪か。 
 同じく虎口跡か。
主郭西側の副郭。 
 同上。
副郭北側の虎口跡か。 
 副郭北側の腰曲輪。
副郭から続く横堀。 
 横堀の切れ目。虎口跡か。
同上。 
 主郭北辺の横堀。
同上。 


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