栃木城(とちぎ) | |
別称 : 古城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 長沼秀光か | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : JR両毛線・東武日光線栃木駅徒歩15分 | |
<沿革> 応永元年(1394)、長沼紀伊守秀光が築いた「古城」に端を発すると伝えられる。秀光は、 第一次皆川氏の祖となった皆川宗員の弟長沼宗泰の後裔で、奥州から父祖の地である 下野へ戻ったとされる。秀光の子氏秀は皆川へ本拠を移したとされるが、古城が存在した として、その後の扱いについては不明である。 天正十九年(1591)、前年の小田原の役で3万5千石の所領を安堵された皆川広照は、 栃木城を築いて皆川城に代わる新たな居城とした。役に先立つ天正年間(1573〜92)に、 川連城下にあった2か寺が栃木に移されていることから、移転計画自体はそれ以前から 進められていたものとみられている。 関ヶ原の戦い後の慶長八年(1603)、広照は徳川家康の六男松平忠輝の附家老となり、 飯山城4万石を加増された。現地説明板によれば、栃木城は広照の弟俊勝に預けられた とあるが、皆川家の系図に俊勝という人物は確認できない。 慶長十四年(1609)、広照らは忠輝の行状の悪さを家康に訴えたが、逆に職務怠慢と して改易された。栃木城も廃城となり、19年という短い歴史に幕を閉じた。 <手記> 蔵の街として観光客の集まる栃木の中心街から見ると、南東のやや離れたところに栃木 城址公園があります。周辺の道は狭いですが、園の入口に大きくない車なら1台停まれる くらいのスペースがあります。 園内には櫓台状の土塁と、その外側に堀跡とみられる水路が巡っています。逆にいうと 遺構らしきものはこれしかないので、全体像をうかがうのは困難です。まったくの平城という 点では川連城と条件が同じなので、こちらに類似した築城プランだったのではないかと推察 されます。 |
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櫓台状土塁と説明板。 | |
土塁を別角度から。 | |
土塁頂部のようす。 | |
堀跡とみられる水路と土塁。 | |
同上。 | |
おまけ:蔵の街・栃木の景色。 城址公園からはやや離れています。 |
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おまけその2:岩下の新生姜 ミュージアム こちらは城址公園から徒歩5分程度です笑 |