根古屋城(ねごや)
 別称  : 竜谷城、勝楽寺城、山角城
 分類  : 山城
 築城者: 山口高忠か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : 西武狭山線・山口線西武球場前駅徒歩40分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ村山党庶流の山口氏によって、山口城の詰城として築かれたとみられ
          ている。『所沢市史』などでは、応永年間(1394〜1428)に山口小太郎高忠が築いたと
          しているが、確証はない。『新編武蔵国風土記稿』の勝楽寺村の項には、「星見小太郎」
          や「山口太郎」の名が、城主として土地に伝わっているとある。同書では、「星見」を隣接
          する三ヶ島の堀之内村に伝わる「伏見」小太郎と同一人物とみている。城山の周辺には
          「小太郎坂」があったとされ、いずれも小太郎を名乗る人物と根古屋城との関連を示して
          いる。
           一方『入間郡誌』には、「山角彦三郎の住城」にて「山角城とも云ふ」とある。『埼玉の
          城址めぐり』では、山角を「やまずみ」と読んで山口氏の家臣としている。「やまずみ」の
          読みは、『江戸名所図会』などにある「山住彦三郎」の表記を典拠としているとみられる
          が、関東の山角氏として一般に知られているのは後北条氏に初代早雲から仕えていた
          一族であり、こちらの読みは「やまかく」ないし「やまかど」とされる。
           廃城時期も定かでないが、遅くとも天正十八年(1590)の小田原の役によって、役目
          を終えたものと推察される。


       <手記>
           かつては柳瀬川上流の谷戸に臨む峰の1つでしたが、狭山湖(山口貯水池)の建造に
          より、湖中に突き出た岬のような状態になっています。ダムの天端の上から湖水越しに
          きれいに望むことができますが、城跡を含め貯水池の周囲はフェンスでぐるりと囲まれて
          いて、立ち入ることはできません。飲用水のダムという性格上、一般に公開されることも
          滅多にないようです。
           その代わりに、人の手が入ることなく遺構はそのままに残されているようです。先人の
          手になる縄張り図によれば、根古屋城は櫓台や横矢、二重土塁の横堀などを備えた、
          かなり凝った造りをしていたようです。図が正しければ、とても在地領主程度の詰城とは
          思えません。おそらく、築いたのは山口氏だったとしても、後に北条氏に接収され、重臣
          山角氏の一族の彦三郎が城代として管理していたというのが実情でしょう。
           ちなみに、根古屋城へのルートの入り口と思われるフェンス戸口の反対側には峠越え
          の山道が伸びていて、三ヶ島側の東川上流の谷戸に下っています。城山の脇を抜けて
          谷戸同士を結ぶこの道は、おそらく根古屋城現役のころから存在する重要な道だった
          ものと思われます。とするなら、この山道は一般人が今日目にすることのできる貴重な
          城跡関連の遺物であるといえるでしょう。

           
 狭山湖のダム天端から根古屋城址を望む。
城山の付け根のフェンス戸口。 
 この視線の向こうにラピュタ…
 もとい、根古屋城址があるのだ!
戸口反対側の峠越えの山道。 
 山道を下りた先にある、三ヶ島の東川上流の谷戸。


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