泊館(とまり)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 蠣崎高広か
 遺構  : 不詳
 交通  : 江差、函館市街などからバスに乗り、
      「」下車


       <沿革>
           永正元年(1504)、勝山館主蠣崎光広の次男・高広が泊城に分家したと伝わるが、この
          ときに築かれたのかは定かでない。同十一年(1514)に光広が松前大館へ移ると、高広
          が勝山館主へスライドした。泊館は、早ければこのときに廃されたとみられるが、詳細は
          不明である。
           天文十四年(1545)に光広の嫡男・義広が没すると、蠣崎宗家は義広の嫡男・季広が
          継いだ。これに不満を持った高広の子・基広は、同十七年(1548)に従兄の季広の暗殺を
          図ったが失敗し、逆に季広から家臣・長門広益を差し向けられて謀殺された。遅くともこの
          ときに、泊館は廃城となったと考えられる。


       <手記>
           泊は江差の一つ北にある街区で、名前の通り江差が開かれる以前の停泊地であったと
          みられ、大館館主村上政儀や、国分館主江口顕輝の父で政義家臣の江口義盛らが漂着・
          上陸した地とも伝えられています。
           遺跡地図では泊八幡神社の裏山が泊館跡とされていますが、確証はないようです。また
          観音寺付近が居館跡ともいわれていますが、やはり詳細は不明です。北麓から津波避難
          通路が付いていて、そこから頂部まで直登できそうですが、山上は森と藪に覆われていて、
          少なくとも夏季にはヒグマが恐すぎてとても入れません。6月とて、ひと通り周囲から眺めて
          後にしました。

           
 北から泊館比定地を望む。
北麓の津波避難通路入口。 
 夏場はとても入れそうにありません…。
中腹からの眺望。 


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