富江陣屋(とみえ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 五島盛清 | |
遺構 : 石倉 | |
交通 : 福江市街よりバスに乗り、 「西片町」下車徒歩1分 |
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<沿革> 福江藩4代藩主五島盛勝は幼くして家督を継いだため、藩政は叔父の盛清が 代行した。盛勝が成長すると盛清は実権を譲り、万治三年(1660)に盛勝から 福江藩1万5千石のうち富江領3千石を分知された。寛文二年(1662)、盛清は 富江に陣屋を築き、以後8代を数えた。富江五島家は交代寄合格を有し、富江 領は富江藩とも呼ばれる。 慶応四年(1868)、富江藩は本家福江藩に併合されることが決定されたが、 富江の領民は一揆を起こしてまでこれに抵抗した。明治三年(1870)に至って ようやく併合が実現し、富江藩と富江陣屋はここに廃された。 <手記> 福江市旧富江町は、福江島の南に突き出た半島状の地域です。富江市街 に隣接する富江中学校のグラウンド一帯が陣屋跡とされ、中学校の体育館前 に説明板が設置されています(上の地図の左下緑点)。 また陣屋北辺に石倉の石壁が残っていて、貴重な遺構となっています(上の 地図の中央上緑点)。人ひとり分の細い通路沿いで入り口はわかりにくいです が、国道384号沿いに案内が出ています。 この石倉と中学校の説明板の間を方形に囲った区画が、おおよその陣屋の 範囲ということのようです。石倉の北側を元屋敷といい、当初はこちらに陣屋 が営まれていたともみられています。ちなみに、陣屋東側の富江小学校北西 隅付近にも、中学校のものと同じ説明板が立っています。 |
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中学校の説明板。 | |
石倉跡。 | |
陣屋跡現況(富江中学校グラウンド)。 |