殿ノ城(とのの)
 別称  : 御屋敷
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR横浜線/小田急線町田駅よりバス
       「菅原神社前」バス停下車


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』に、「殿ノ城 或は御屋舗とも呼ぶ 何人の館跡と云ことを伝えず」とある。
          付近は、建武二年(1335)の中先代の乱で北条時行軍と足利直義軍が戦った井出の沢の戦いの
          古戦場とされる。
           城主を一色伊予とする伝承があるようだが、確証はない。一色伊予は、永享十年(1438)にはじ
          まる永享の乱で鎌倉公方足利持氏に与し、今泉館に立て籠った一色伊予守を指すとも考えられる
          が、詳細は不明である。
           古戦場に建つ菅原神社は、社伝によれば永享年間(1429〜40)に大沢左近正次によって創建
          された。寛永七年(1630)、正次の子孫の大沢玄蕃が新たに村の鎮守として社殿を建てたという。
          また、正次の祖先として元応年間(1319〜20)に大沢七郎正純なる人物がいたとも記されている。
          大沢氏と殿ノ城との関係は明らかでないが、代々付近の領主を務めたとすれば城主として考える
          こともできると思われる。

       <手記>
           殿ノ城は菅原神社の麓のどこかにあったと思われますが、正確な位置は分かっていません。菅原
          神社交差点の北側一帯を字「御屋敷」と呼ぶようで、住宅街の一角に「おやしき公園」があります。
          このあたりは、北から東へ恩田川が流れる台地の端部にあたり、居館を築くには十分相応しい地で
          あると思われます。かつて、川の向こうには本町田の集落がありました。
           周辺は、井出の沢の名の通り湧水が豊かな土地だったようで、おやしき公園の近くにも緊急時用
          の井戸がありました。こうしたのどかな風景や、神社境内の古戦場碑などに昔日を偲ぶしかありま
          せん。

           
 菅原神社。
境内の井出の沢(井手の沢とも)古戦場碑。 
 おやしき公園。


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