鳥栖城(とりす) | |
別称 : 新屋敷鳥栖城、鳥住城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 成田氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : 地下鉄桜通線桜本町駅または鶴里駅徒歩7分 | |
<沿革> 応仁元年(1467)に始まる応仁の乱のころに、成田時重によって築かれたとされる。後裔の 成田義次は寺部城主山口盛重の娘婿となり、山口氏に従属した。盛重の従兄弟にあたると される桜中村城主山口教継が織田信長から離反すると、義次も同調して今川義元に従った。 天文二十一年(1552)の赤塚の戦いでは、義次が山口勢の先鋒を務めたとされる。 教継・教吉父子は、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いに先立ち義元に寝返りを疑われ切腹 を命じられたが、成田氏および鳥栖城の動静は詳らかでない。 <手記> 成道寺一帯が鳥栖城跡とされています。寺には成田城主夫婦地蔵なるものがあるそうです が、遺構らしきものは見当たりません。鳥栖と書いて「とりす」と読み、かつては「鳥住」と記述 していたようです。ウイスキーが飲みたくなる地名ですね笑 また、愛知県の遺跡地図には新屋敷鳥栖城跡として記載されています。ただ、新屋敷西城と 一般に呼ばれる城館跡が別に鳥栖城跡の北西にあります。 今昔マップを参照すると、南東の鳥栖八剱社に向かって緩やかに下る台地の角地にあった ようです。さして要害地形ではなかったものとみられ、どちらかというと館城に近かったのでは ないかと推測されます。 |
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成道寺。 | |
成道寺本堂。 | |
境内から参道下を望む。 |