大峪城(おおがけ)
 別称  : 伊賀城
 分類  : 平城
 築城者: 前田利家
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : JR高山本線西富山駅徒歩7分


       <沿革>
           天正十三年(1585)八月の富山の役に際し、豊臣秀吉方の前田利家によって、富山城
          の佐々成政に対する陣城として築かれた。ただし、それ以前から城砦があったとする向き
          もあるが、確証はない。大峪城は前田家臣片山伊賀守延高が守備したことから、伊賀城
          とも呼ばれたとされる。
           役後も白鳥城安田城と共に前田氏の城として維持・拡張されたとみられるが、詳しい
          運用や廃城時期は定かでない。ちなみに、延高は慶長四年(1599)に利家が没した際、
          その遺言に謀反の気配ありと書かれていたため、利家の嫡男で越中国主であった利長
          に暗殺された。


       <手記>
           大峪城跡にはかつて五福小学校があり、今は五福芝生スポーツ広場という公園として
          整備されています。金沢市立玉川図書館には『越中富山領大ガケ古城図』が収蔵されて
          おり、公園化に先立つ発掘調査では、絵図に記された本丸と二の丸を結ぶ土橋が確認
          されたそうです。
           現状は2本の川に挟まれた小丘に見えますが、北側は用水なので、実際には南側の
          古川に面して築かれ、他の三方に堀を巡らした構造だったようです。絵図には古川をして
          神通川と書かれていますが、当時の神通川は成政によって富山城の北を流れるように
          付け替えられていたはずです。すると、神通川が安田城の東を流れていた井田川と直交
          しなければならなくなり、さすがに不自然なので、この古川は神通川ではなく井田川の
          旧河道のような気がします。
           現地説明板によると、小学校校舎跡地の本丸東辺のみ土塁が残っていて、今は地中
          に保存されているようです。東に隣接する富山大学五福キャンパスと県立五福公園は、
          かつての兵営や練兵場だったようで、これによって削られなかっただけでも良かったと
          みるべきでしょう。
           ちなみに、公園に入ると四阿があり、そこにある来園者ノートに氏名などと共に利用の
          目的を記入するよう求められています。健康増進や散策といった文言が並ぶなか、我は
          ひとり「城跡見学」と記してきました笑

           
 説明板と五福芝生スポーツ広場。
本丸跡現況。 
 土塁が地中保存されているという本丸東辺。
四阿と来園者ノート。 
利用目的を記入するよう求められています。 


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