安田城(やすだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 前田利家
 遺構  : 曲輪、水濠、土塁、土橋、虎口
 交通  : JR高山本線婦中鵜坂駅徒歩15分


       <沿革>
           天正十三年(1585)八月の富山の役に際し、豊臣秀吉方の前田利家によって、富山城
          の佐々成政に対する陣城として築かれた。ただし、それ以前から城砦があったとする向き
          もあるが確証はない。前田家臣岡嶋備中守一吉が守将を務め、役後も白鳥城大峪城
          と共に前田氏の国境の城として維持・拡張されたとみられる。
           慶長二年(1597)、利家の嫡男利長が居城を守山城から富山城へ移すと、一吉はその
          詰城として白鳥城に入ったが、願い出て安田に戻った。今日に見る縄張りはこれ以降に
          完成されたものと推測される。
           慶長四年(1599)、利家が没して利長が家督を継ぐと、一吉は利長に従って金沢城
          移り、安田城には代官として平野三郎左衛門が入れられた。廃城時期は明らかでない。


       <手記>
           富山県下の平城では随一ともいえる遺構の残存および整備状況という安田城ですが、
          私はこの城の存在をTwitterで知りました。SNSは苦手ですが、こういう情報が得られると
          なると、細々とでも続けた甲斐があるというものですね。
           井田川沿いに築かれた、本丸・二の丸・右郭の3つの曲輪から成る平城で、それぞれが
          四周水濠で囲まれ、土橋で繋がっている様子がしっかり再現されています。私が訪れた
          際には、一番外側の右郭の濠が浚渫中で、重機が入っていたことを除けば、いうことなし
          の大満足でした。
           縄張りを見るに、富山の役時には正方形の主郭のみだったのでしょう。規模はそれほど
          大きいとはいえず、織豊期の地方統治の実態を伝える貴重な城跡といえます。
           また、もう1つ感激したのが付属の安田城跡資料館です。館内には県内の主だった城跡
          の縄張り図が多数用意され、しかもすべて無料でした。最初は必要な分だけと思っていた
          のですが、手に取るうちに次々と欲しくなり、結局すべてひと通り集めてしましました。受付
          の方に「思うさま取ってしまってすみません(汗)」と申し出たところ、「いえいえ、そのため
          に置いてあるものですのでどうぞ!」とにこやかに応じてくださいました。

           
 右郭から本丸を望む。
右郭と二の丸を結ぶ土橋。 
 二の丸のようす。
二の丸から見た本丸の土橋と虎口。 
 本丸のようす。
本丸土塁上から二の丸を俯瞰。 
 二の丸南側の出入口。
 これは後世に設けられたものです。
東側の水濠と土塁。 
 浚渫中だった右郭の水濠。
安田城跡資料館。 


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