土屋陣屋(つちや)
 別称  : 永田陣屋、伊奈陣屋
 分類  : 平城
 築城者: 伊奈忠次
 遺構  : 堀、長屋門
 交通  : JR川越線指扇駅徒歩10分


       <沿革>
           関東郡代伊奈忠次によって、荒川周辺開発のための事業本部として造営された。正確な建築年は
          不明だが、家康が関東に入封した天正十八年(1590)から忠次が死去した慶長十五年(1610)の間
          と考えられる。
           伊奈氏が小室から赤山に移った際に、陣屋は伊奈氏家臣永田氏に与えられたとされる。ただ実際
          には、伊奈氏は小室から赤山に転封したわけではなく、小室藩を継いだ忠次の長男忠政の系統が
          忠政の子忠勝で絶えてしまい、すでに赤山に別家を立てていた忠政の弟の忠治が関東郡代を継承
          することになった。
           『日本城郭大系』には忠治の陣屋とあり、忠治の代まで荒川の改修事業が行われていた。これら
          のことから、土屋陣屋は忠治かその次の忠克のころに永田氏に譲られたものと推測される。その後、
          永田氏が現在に至るまで陣屋に在住している。

       <手記>
           土屋陣屋は、県道75号線から一本入ったところにあります。県道沿いに説明板が設置されている
          ので、それを目印にするといいでしょう。地図では永田医院や永田歯科と書かれているところがそれ
          です。
           土屋陣屋は、開発用の灌漑水路を堀として周囲を巡らせた役宅といったつくりです。この四周の堀
          がほぼ完全に残っており、貴重な遺構となっています。さらに、立派な長屋門がこれまた非常に良好
          な姿で残っています。この門は、両サイドの塀との間に珍しい木製の忍び返しを持っています。
           このように貴重な遺構を今に残し、文化財指定も受けているお宅ですので、何とか後世に守り伝え
          ていけるよう願うばかりです。

           
 土屋陣屋説明板。奥に見えるのが長屋門。
陣屋跡正面の堀。 
 長屋門。
長屋門脇の木製の忍び返し。 
 陣屋跡北西隅の堀のようす。


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