恒岡氏館(つねおかし) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 恒岡氏 | |
遺構 : なし | |
交通 : 東武東上線北坂戸駅徒歩10分 | |
<沿革> 片柳の飯盛神社にある由来を記した石碑には、元亀二年(1571)に岩槻城太田氏の被官 「恒岡入道大林軒道會日勢」が社殿を建立した旨が記されている。恒岡氏は太田氏の庶流 とされる。同氏には、後北条氏から入嗣した太田氏房の没後、徳川家康に仕えて後に旗本 となった恒岡資正がいるが、「恒岡入道大林軒道會日勢」なる人物との関連は不明である。 また同石碑には、康安年間(1361〜62)に片柳長門入道の草蒼の地となったとも記されて いる。恒岡氏に先んじて片柳氏が当地にあったことがうかがえるが、同じ場所に館を営んで いたのかは定かでない。 <手記> 飯盛神社の東側一帯が、館跡の比定地とされています。一帯はバイパスに面した住宅街 として新規に開発されていて、それらしき雰囲気を嗅ぎ取ることはできません。 境内周辺には、かろうじて郷村の雰囲気が残っています。とはいえやはり館跡に直接結び つきそうなものは見当たりません。本殿裏には段差がありますが、開発にともなう削り残しと 思われます。 やはり館につながる唯一のよすがは、神社参道脇の石碑です。ただし、これを見ても片柳 が恒岡氏の所領であったかどうかまでは確信がもてません。とはいえ、片柳氏がこの地に いたということであれば、少なくとも同氏の居館が周辺にあったことは間違いないのでしょう。 |
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飯盛神社。 | |
境内から館跡比定地の東方を望む。 | |
神社の由来を記した石碑。 恒岡氏および片柳氏にも触れられています。 |
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本殿背後の段差。 開発にともなう造作か。 |