鶴子代官所(つるし) | |
別称 : 鶴子銀山代官屋敷、鶴子陣屋 | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 上杉景勝 | |
遺構 : 土塁、堀、土橋 | |
交通 : 両津市街または佐和田市街からバスに 乗り、「紅葉橋」下車徒歩30分 |
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<沿革> 鶴子の銀は16世紀中ごろには発見されており、当初は露頭掘りで採掘されていた。 天正十七年(1589)、越後の上杉景勝が佐渡へ攻め入って、全島を支配下に置いた。 景勝は、家臣山口右京を代官に任命して陣屋を築かせ、本格的な銀山経営に乗り 出した。後に石見銀山の山師を招いて坑道採掘に発展させ、「鶴子千軒」と呼ばれる ほどの繁栄を見せた。 慶長六年(1601)に鶴子の山師が相川の金鉱を発見すると、主眼は金山へと移って いった。同八年(1603)に大久保長安が佐渡代官に任命されると、代官所は鶴子から 相川に移転した。以後も、鶴子では銀や銅の採掘が続けられたが、再び代官施設が 置かれることはなかった。 <手記> 中山トンネルの手前から林道に入ってずんずんと進むと、やがて駐車場を完備した 鶴子銀山跡に着きます。そこから沢を遡ると今は塞がっている坑口の1つがあります。 また、銀山の説明板裏あたりから代官屋敷と書かれた標識があり、山道へと誘われ ますが、この道は結構な登りで距離も少しあります。これを無視して車でさらに奥へと 行くと、代官所の真下まで行くことができ、車1台分程度のスペースもあります。小回り の利く車であれば、ここまで来た方が絶対にお得です。ここからなら、代官所跡までは 1分とかかりません。 代官所跡地には、3段程度の基壇土塁が残っています。段々になっていることから、 相川の佐渡奉行所のように屋敷だけでなく、鉱山の作業施設も付属していたのでは ないかと推測されます。 代官所の西側は深い谷になっているのですが、この谷を土橋で堰き止めて巨大な 堀としているのが、鶴子の大きな特徴の1つです。谷にダムサイトを築くという大がかり な造作をしているのは、採掘に必要な水を確保するという意味合いもあったのかもしれ ません。 屋敷跡からさらに裏手へ登ると、選鉱場跡や井戸跡があります。その脇には虎口状 地形がみられ、その先の道はおそらくいずこかの坑口へ続いているものと思われます。 井戸の奥には天狗岩という、さほど大きくはない岩があり、かつての修験場の名残りと されています。鶴子で銀が発見されたのも、一帯が修験の場であったためであると考え られています。 鶴子銀山は、はっきり言って行くのも大変ですし、一般の観光地としてはとても流行る 種類のものではありません。しかしながら、説明板がいちいち立派で新しいのが印象に 残っています。おそらく、金山単体での世界遺産登録に失敗した佐渡市が、西洋を意識 して「佐渡金銀山」として再チャレンジするうえで、鶴子銀山のプッシュが大切だと考えた 結果であろうかと思われます。 |
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代官所跡基壇土塁と説明板。 | |
代官所跡を反対側から。 | |
最下段のコの字型の凹部。 玄関跡か。 |
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谷を堰き止めたダム状の堀。 | |
谷を堰き止める土橋。 | |
虎口状地形。 | |
井戸跡。 | |
天狗岩。 | |
鶴子銀山の塞がった坑口。 |