内城(うち)
 別称  : 御内
 分類  : 平城
 築城者: 島津貴久
 遺構  : なし
 交通  : JR鹿児島本線鹿児島駅徒歩10分


       <沿革>
           天文十九年(1550)、島津貴久によって清水城に代わる新たな居城として築かれた。ただし、
          清水城の山城部分については、詰の城として残されたとされる。内城の名称は、領主の居館を
          示す「御内」から転じたものとみられている。
           慶長七年(1602)に、島津家の居城として鹿児島城が築かれると、内城は廃城となった。城跡
          には、貴久とその子義久の菩提寺である大龍寺が営まれた。


       <手記>
           内城跡は現在大龍小学校となっています。内城という名や立地から想像がつくとおり、平時の
          居館という以上の役割はもっていなかったようです。
           小学校南辺に大龍寺跡の石碑がありますが、内城の碑や説明板はありません。遺構も当然
          ありませんが、小学校の旧門脇に内城の時代にあったとされる蓑懸松の説明板があり、これが
          城を示す唯一のもので、黒松の若木が植えられています。
           小学校から鹿児島駅へ向かう道は緩やかな下り坂となっており、内城が一応東に稲荷川、南
          に海岸線を望む台地の上という位置に選地されていることが分かります。

           
 大龍小学校脇の大龍寺跡の碑。
内城址現況(大龍小学校)。 
中央左手の松は蓑懸松跡。 
 小学校周辺から鹿児島湾方面を望む。
 緩やかに下っています。


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