宇田家屋敷(うだけ)
 別称  : 宇田氏屋敷、代官屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 宇田長左衛門
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR武蔵野線越谷レイクタウン駅徒歩20分


       <沿革>
           天正年間(1573〜92)ごろ、宇田長左衛門がこの地に移り住み、居館を構えたとされる。
          宇田氏の出自や長左衛門の移住の経緯などは不明である。
           寛永十六年(1639)、老中阿部忠秋が壬生2万5千石から忍5万石へ加増転封となると、
          見田方村をはじめとする5千石弱の領域が忍藩の飛び地となった。宇田家は、「柿ノ木領
          八か村」と呼ばれたこの飛び地領の割役名主(各村名主の元締)に任じられ、代々世襲
          した。地元では「代官」と呼ばれていたが、厳密には代官ではなく、江戸時代の身分として
          は武士でもなかったが、名字帯刀を許されるなど支配層としての地位を認められていた。


       <手記>
           昭和の末ごろまで宇田家とその屋敷は存続していたそうですが、現在では転居されて
          いるそうです。かつては堀と土塁が巡り、立派な長屋門を擁する屋敷だったようですが、
          現在は大相模小学校敷地となっています。校舎の北東裏手のグラウンドあたりが中心で
          その脇に堀の痕跡があるとのことでしたが、知らずに正門だけ写真に収めて西へ300m
          ほどのところにある大相模氏館跡へと移動してしまいました。
           なお、市内の市営花田苑に、宇田家の長屋門が復元されているそうです。
           
 大相模小学校遠望。
 
大相模小学校正門。 
 


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