戸波城(となみ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 戸波氏か
 遺構  : 土塁か
 交通  : JR奥羽本線十文字駅からバスに乗り、
      「羽場」下車徒歩10分


       <沿革>
           増田の満福寺の『満福寺文書』には、戸波平八郎時平が在城していたとある。「平」の
          通字から増田城主土肥氏の一族とも推測されるが、確証はない。
           文禄四年(1595)に最上義光が雄勝郡へ侵攻した際、増田城の土肥道近は最上氏に
          寝返った。戸波城も最上氏の手に渡ったとみられるが、『奥羽永慶軍記』にはその後も
          小野寺家臣として戸波氏の名が挙がっている。したがって、戸波氏は戸波城を逐われ、
          最上家臣が新たな城主となったか、そのまま廃城となったと推測される。


       <手記>
           秋田県の遺跡地図によると、皆瀬川の河岸段丘上の公園になっているあたりが戸波
          城跡とされています。台地の縁に何かの石碑があり、その基壇は土塁跡のように見え
          ますが、断言はできかねます。崖端の城館があったとしてもおかしくはない地形ですが、
          確信までは抱けないといった現状でした。

           
 東から戸波城跡比定地を望む。
公園となっている比定地。 
石碑の基部は土塁跡か。 
 石碑付近からの眺望。


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