宇佐美城(うさみ) | |
別称 : 留田の城山 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 宇佐美氏 | |
遺構 : 削平地、虎口跡 | |
交通 : JR伊東線宇佐美駅徒歩15分 | |
<沿革> 曽我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の弟祐茂は、宇佐美荘を継承して宇佐美氏を 称した。宇佐美城は宇佐美氏累代の居城とされるが、祐茂の代に築かれたものかは 定かでない。祐茂は源頼朝の挙兵に参加し、鎌倉幕府の成立に貢献した。 明応二年(1493)の伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆討ち入りに際し、ときの当主宇佐美 貞興(定興)は伊勢氏に反抗し、討ち死にした。宇佐美城もほどなく落とされ、伊豆の 宇佐美氏は没落したものとみられている。 ところで、宇佐美氏といえば上杉謙信の軍師を務めたとされる宇佐美定満(定行)が 知られている。越後宇佐美氏は、天授六/康暦二年(1380)に上杉房方が越後守護と なった際、鎌倉公方足利氏満の命で越後入部に随行したのがはじまりとされる。定満 の祖父孝忠は貞興の子で、越後宇佐美家の宇佐美定秀の養子となったものともいわ れている。 貞興以後の伊豆宇佐美氏および宇佐美城の動向については定かでない。 <手記> 宇佐美城は、烏川河口の宇佐美湾に北から突き出た丘の上に築かれた城です。麓 から見ると半独立丘のように思われますが、これは丘の背後を国道135号線が切通し のように貫通していることが大きいようです。ここには堀切があったとされていますが、 今では往時の様子をうかがうのは困難です。最初はこの裏手から登ろうかと思ったの ですが、藪がひどくてとても入れそうにありませんでした。沿道にお住いの方に尋ねた ところ、南麓の教会裏の駐車場脇から登れるとのこと。行ってみるとたしかに踏み分け 道が山頂まで通じていました。 おそらくこれが当時からの大手道で、登りつめると虎口状地形を抜けて頂上に到着 することができました。ここには大学寮があったとかで、現在は更地になっていますが、 その削平地面がそのまま城の主郭跡とみることはできないように思われます。 城山からは、木々の隙間から湾越しに伊東市方面を望むことができます。現在では 途中に道の駅やハトヤがあるので難しいですが、かつては伊東氏の本拠の伊東館を 視界に収めることもできたはずです。 城の規模は至って小さく、戦国時代初期以前のものと思われます。おそらく、後北条 氏が小田原周辺を制圧するに及んで、戦略的価値を失って廃城されたのだろうと推測 されます。 |
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「宇佐美祐茂壘址」石碑と城山。 | |
山頂のようす。 | |
虎口跡。 | |
城山から伊東市街方面を望む。 |