牛久陣屋(うしく) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 山口弘隆 | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : JR常磐線牛久駅よりバス 「三日月橋生涯学習センター」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 牛久藩1万石の陣屋である。同藩は、一度改易され浪人していた山口重政が、大阪の陣での 功績を受けて、寛永五年(1628)に常陸国および遠江国に1万5千石を宛がわれたことに始まる。 重政の子弘隆は、分散していた所領を牛久周辺に集め、弟の重恒に5千石を分知したうえで、 寛文九年(1669)に牛久陣屋を造営した。それ以前の藩府については定かでない。 以後、牛久藩は増減封も移封もなく、12代を数えて明治維新を迎えた。 <手記> 牛久陣屋は、牛久沼に突き出た台地の凸部を利用して築かれています。現在、陣屋跡一帯 は耕作地などになっています。説明板などはなく、「河童碑」はあるものの陣屋跡を示すような ものはありません。 陣屋跡付け根の生活道路はかつての大手堀跡とされ、その西端は竪堀となって落ち込んで います。東辺には巨大な空堀が残っているとのことですが、台地上から辿りつくには私有地を 抜けなければならず、断念してしまいました。麓から田んぼの畔を抜けて斜面に取り付けば、 登って到達することができたようなので、惜しいことをしました。付随する土塁については、畑 越しに写真に撮ることはできました。 不思議に思うのは、すぐ近くに牛久城跡という似たような地形のうえに旧遺構を転用できそう なところがあるのに、なぜわざわざここに陣屋を新規建造したのかという点です。水戸街道の 牛久宿からも離れており、ここに藩府を新築するメリットがどうにも感じられません。 |
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牛久陣屋跡近望。 画面手前の斜面に空堀があるとか。 |
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付け根の大手堀跡の道路。 | |
大手堀跡西端の竪堀となっているところ。 | |
東辺の土塁。 |