潮江城(うしおえ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 曲輪跡、堀
 交通  : 土佐電鉄梅ノ辻電停下車徒歩30分


       <沿革>
           暦応三/興国元年(1340)一月、細川定禅の要請のもとに結集した北朝軍が大高坂城
          攻囲した際、救援のために南朝の軍勢が潮江山に参集したことが記録に見られる。ただし、
          当時の潮江山に城砦が営まれていたかどうかは不明である。
           潮江城が本格的な中世城郭として整備されたのは、戦国時代に同地に勢力を拡大した
          本山氏の手によるものと考えられている。
           永禄三年(1560)、長浜戸の本の戦いで勝利した長宗我部軍は、敗退する本山勢を追って
          潮江城に迫った。このとき、初陣であった長宗我部元親は、潮江城には兵が残っていないと
          判断し、そのまま城へ攻め上ろうとした。家臣たちはこれを諫止したが、元親と弟の親貞は
          かまわず進撃した。すると城中はもぬけの殻で、元親らは難なく城を乗っ取ることができたと
          いわれる。
           戦後、潮江城には森孝頼が配された。森氏はもともと土佐郡森郷の領主であったが、隣領
          の本山氏に逐われて長宗我部氏を頼っていた。元親は、本山氏攻略に際して孝頼を旧領の
          森城へ送り込み、本山城周辺を撹乱させた。
           本山氏が滅ぶと、孝頼はそのまま森郷を与えられたとされる。潮江城のその後の動向に
          ついては不詳である。


       <手記>
           潮江城址は、現在は筆山公園として高知市民の憩いの場となっています。北に鏡川、東に
          浦戸湾を望む半独立山上の城です。
           頂上の主郭と思われる場所には遊具が立ち並んでいますが、周囲が堀切状になっていて、
          当時のようすをうかがうことができます。ただ、山頂部全体が整備されているため、どこまで
          が城の遺構かは判別しがたい状態です。
           また高知市街にありながら、車以外ではアクセスしにくいのが難点です。

           
 山頂(主郭)のようす。
山頂から東側を望む。 
 城址から高知城を望む。


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