ファドゥーツ城
(Schloss Vaduz)
 別称  : ホーエンリヒテンシュタイン城
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 交通  : フェルトキルヒまたはザルガンスから
      バスに乗り、「ファドゥーツ・シュテットレ」
      下車徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           12世紀の築城とみられているが、築城主や経緯などは不明である。年輪年代法からは1287年
          まで遡ることができるとされる。史料上は、1322年に城とファドゥーツおよびトリーゼンの領民を、
          400マルクで代官ウルリヒ・フォン・マッチュの抵当に入れたとするのが初出とされる。1338年には
          ウルリヒ・フォン・モーントフォルトが隠居城として取得した。
           1342年、ファドゥーツの城館と領地はモーントフォルト伯家の分家から発展したハルトマン3世・
          フォン・ヴェルデンベルク=ザルガンスが分割相続し、併せて初代ファドゥーツ伯を称した。ヴェル
          デンベルク系ファドゥーツ伯は1416年に断絶し、所領はブランディス男爵家が承継した。
           1499年のシュヴァーベン戦争(スイス戦争)において、ファドゥーツ城はスイス原初同盟に攻め
          落とされ、ルートヴィヒ・フォン・ブランディスは捕虜となった。和議が成立してルートヴィヒが釈放
          されると、焼け落ちていた城も再興された。
           1507年、ルートヴィヒの弟ヨハネスは、ファドゥーツとシェレンベルクを親戚にあたるズルツ伯
          ルドルフ5世に売却した。これにより、ファドゥーツ伯が復活することになった。ズルツ家によって
          ファドゥーツ城は大きく改修され、2基の円塔もこのときに増設されたとされる。
           1613年にホーエネムス伯がファドゥーツおよびシェレンベルク伯領を購入した。1646年、同家は
          ホーエネムス=ルステナウ家とホーエネムス=ファドゥーツ家の2流に分裂したが、後者は17世紀
          後半にホーエネムス=ファドゥーツ伯フェルディナント・カールが過度な魔女狩りを行ったため、
          弟ヤーコプの告発により皇帝の命で捕縛された。フェルディナント・カールは刑死者の財産を収奪
          して私腹を肥やしていたが、1684年に位を廃されたうえで不当に得た財産の返還を命じられた。
          家督はヤーコプが継いだものの返還命令の履行が困難となったため、1699年にシェレンベルク領
          を、1714年にはファドゥーツ領をリヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム1世に売却した。
           リヒテンシュタイン家はもともとウィーン近郊のリヒテンシュタイン城を本貫とする下級貴族出身
          で、ハプスブルク家の側近として頭角を現し、財力を以て発展した一族である。ヨハン・アダム1世
          がファドゥーツ伯およびシェレンベルク伯を欲したのは、この2伯位が帝国議会の議席権を有する
          帝国等族であったからであった。そのため、リヒテンシュタイン侯は所領自体には関心をもっては
          おらず、1719年に2伯領を併せてリヒテンシュタイン侯国が成立すると、ファドゥーツ城はホーエン
          リヒテンシュタイン城と改名され、同国の行政府となったものの荒廃していったとされる。
           1806年に神聖ローマ帝国が解体されると、リヒテンシュタイン侯国は主権国家となり、1871年に
          ドイツ帝国が誕生した際も、オーストリアを挟んで辺境の飛び地となるためか独立を保った。これ
          を受けて、1905年と1920年にはファドゥーツ城の大規模な修復が行われた。
           リヒテンシュタイン家はオーストリア帝国内外に多くの領地を保有し、当主はウィーンに居住して
          いた。しかし、ナチス・ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)した1938年、フランツ・ヨーゼフ
          2世はファドゥーツ城へと移り、今日までリヒテンシュタイン侯の居城として続いている。


       <手記>
           ミニ国家リヒテンシュタイン公国(侯国)の元首であるリヒテンシュタイン家の居城として、比較的
          有名な城館といえます。ファドゥーツの街を見下ろす山の中腹という、要害的には少々中途半端
          な位置にあり、中世然とした城館に近世的な円塔がミッ〇ーマウスの耳のように付属している
          という、いささかアンバランスなフォルムも印象的です。
           現代の私邸としてはもちろん巨大なのですが、数千億円の資産をもつお殿様の城館としては、
          古典的で控えめに見えます。上記の通り、リヒテンシュタイン家はファドゥーツの領地については
          さして関心があったとは思えず、フランツ・ヨーゼフ2世もここに恒久的に住むことになるとは想定
          していなかったのかもしれません。
           個人邸かつ元首公邸なので、当然ながら公開はされていません。全体をきれいに撮れるような
          ポイントもとくに設けられておらず、観光スポット化するのは歓迎していないようです。観光客の姿
          もまばらで、駐車場などもなさそうでした。
           ちなみに、リヒテンシュタイン公国の首都はファドゥーツとされていますが、人口は5千人程度で、
          街というより村の中心部や大きな集落といった感じです。 それでもお金持ち国家だから街中は
          キラキラしてるかと思いきや、目抜き通りが500mくらいしかないうえに飲食店すらまばら。訪れて
          これには面喰らいました^^;

           
 ファドゥーツ城全景。
北からの側景。 
 円塔を見上げる。
城の脇からの眺望。 
 ファドゥーツの目抜き通りからファドゥーツ城を見上げる。


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