和田山館(わだやま)
 別称  : 和田の館
 分類  : 平山城
 築城者: 和田義国もしくは和田正信か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR上越線高崎駅よりバス
       「病院前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           建暦三年(1213)の和田合戦で、和田義盛はじめ和田一族は壊滅した。このとき、義盛の六男義信の
          子正信か、八男義国が生き延びて、当地に館を構えたとされる。
           現地の案内板によれば、和田氏は寛喜二年(1230)か寛元元年(1243)に赤坂へ移った。赤坂に構え
          られた城は、和田氏にちなんで和田城と呼ばれた。現在の高崎城である。
           その後の和田山館については不明である。



       <手記>
           館跡には、和田氏後裔と称する松本氏が今も住んでおられます。和田山館は、三方を低い山に囲まれ
          た窪地にあり、典型的な鎌倉時代の武士の館地形にあります。館北側の丘にも、館の背後の守りとして
          防御施設があったと思われますが、戦国時代まで継続使用されたかどうかは何ともいえない感じです。
           それゆえ、鎌倉時代に領主の館があったことは間違いないにしても、和田氏の伝説の真偽も含めて、
          鎌倉中期以降松本氏が何をしていたのか。いささか謎を残したままの館です。
           ちなみに、和田山館の南にある菅原神社の東側には、箕輪城主長野氏のご子孫が住んでおられます。


           
 和田山館跡の案内板。
和田山館周辺のようす。 


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