若神子南城(わかみこみなみ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 削平地
 交通  : JR中央本線韮崎駅よりバス
       「若神子中」バス停下車徒歩15分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』には烽火台ないし寺院の跡とある。天正十年(1582)の天正壬午
          の乱に際し、北条氏直が若神子城(大城)に本陣を置いたため、それとの関連も指摘されるが、
          詳細は不明である。


       <手記>
           甲川を挟んで若神子大城と向かい合う台地先端のピークに位置しています。現在城山山頂は
          法徳寺境内となっています。かつては堀と土塁が認められたそうですが、新規墓地開発のため
          に消滅したようです。そもそも、上の国土地理院地図をはじめ多くの地図には寺の存在さえ記載
          されておらず、なんとも奇妙な感じです。
           墓地の東端には土塁状の縁の高まりがありますが、上記の経緯を考えるとこれは土塁という
          より開発時の削り残しなのでしょう。見るべき遺構はその外側の東側斜面にあります。ここには、
          明確な削平地が2ヶ所認められます。さすがにこのあたりには開発の手は入っていないでしょう。
          尾根先も未開発で残っているのですが、緩やかな空間が広がり城域なのかどうかは不明です。
           若神子には、他にほぼ間違いなく北条軍の駐屯兵営だったであろう若神子北城もありますが、
          こちらについてはどうも北条氏にそこまでしっかり取り立てられていたようには思えません。規模
          が小さいですし、何より対峙する徳川軍のいる南方を向いていません。ですので、武田氏時代
          の城砦として築かれ、そのまま廃れていったものと推測されます。

           
 城山中心部現況。
東縁の土塁状地形。 
ただの削り残しと思われます。 
 東側中腹の削平地。
同上。 
 東縁外側。切岸か。
先端部のようす。 


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