和村城(わむら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : JR中央本線須原駅徒歩20分


       <沿革>
           「本城」や「堀ばた」といった字が残るが、史料にはみられず、伝承もないため、詳細は
          不明である。


       <手記>
           和村城は、木曽川にその支脈大沢が注ぎこむ合流点に築かれた河岸の城です。対岸
          の須原宿には、嘉慶年間(1387〜88)に木曽氏によって創建された定勝寺があり、現在
          の定勝寺境内はかつての木曽氏の居館跡であるといわれています。
           『中世城館調査報告書集成』所収の縄張り図によれば、大沢の合流地点に突き出した
          河岸の先端に2つの曲輪をもつ城であったとされています。現在、主郭と思われる先端の
          曲輪は健在ですが、副郭のあったと思われる一帯は圃場整備され、遺構は消滅している
          ようです。
           山谷をもって要害となす木曽谷には、もともと中世城館は比較的多くないうえに、居館
          形式を除けばそのほとんどが山城です。和村城は、そのような木曽の諸城館において、
          河岸を利用した平城(崖端城)という珍しい選地であるといえます。
           したがって、和村城には防衛以外の特殊な目的があったものと推測されますが、それが
          何なのかは、今のところ不明です。あるいは、かつては大沢の合流点付近に須原の渡し
          場があり、それを監視する役目があったのではないかな、と個人的には考えています。
           余談ですが、和村城の付け根から東へ延びる生活道路の脇には、紅白の山桜の並木
          が続いています。まだ若木ではありますが、木曽の山々を背景に明るい色の花が連なる
          景色は、周辺でもなかなかのスポットだと思います。

           
 対岸の須原宿側から和村城址を望む。
二の郭付近から主郭を望む。 
 主郭のようす。
主郭から二の郭方面を望む。 
 


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