渡辺氏館(わたなべし)
 別称  : 渡辺氏屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 渡辺氏
 遺構  : 石塁
 交通  : 富士急行河口湖駅よりバス
       「本栖湖」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           渡辺囚獄佑守(わたなべひとやのすけまもる)の館と伝わる。囚獄佑は武田氏に仕え、駿河との
          国境に近い本栖を守備していたとされる。渡辺氏がいつごろ本栖に館を築いたのかは定かでない。
          天文二十二年(1553)の武田晴信印判状ににある「西之海衆」と呼ばれる8人の在地領主のうち、
          6人が渡辺姓である。また、忍野にも渡辺氏がおり、囚獄佑の渡辺氏と関連があるものと思われる
          が、詳細は不明である。
           天正十年(1582)に武田氏が織田信長に滅ぼされ、また信長が同年の本能寺の変で斃れると、
          囚獄佑は徳川家康に従った。囚獄佑は家康を新府城へ案内し、その後本栖城に拠って北条氏と
          対峙した。この功により、囚獄佑は戦後家康から九一色郷における商売の特権を得たとされる。
           天正十八年(1590)、囚獄佑は家康の関東入国に従ったとされる。本栖の館もこのときに廃され
          たとみられる。ただし、囚獄佑の墓は館跡の近くにあり、詳細は不明である。


       <手記>
           渡辺氏館は、本栖の町と本栖湖が両方望める高台に位置しています。東に中道往還、西に身延
          へ向かう本栖道が走っています。
           囚獄佑という名前も凄いですが(そんな官職あるんでしょうか)、館跡もなかなか凄いところです。
          周辺は溶岩性地質で、至るところに溶岩性の石が転がっています。そのなかに、石塁と考えられて
          いる石積みが点在しています。しかし、本当に館の遺構なのか、自然のものなのか、あるいは館と
          関係ない構築物なのか、判然としません。館跡には、同じく溶岩でできた囚獄佑の墓もあります。
           屋敷跡のすぐ近くに、硝煙屋敷跡というのもあります。ここにも立派な標柱が立っているのですが、
          それを囲むようにたくさんの犬舎が置かれています。同様に猛犬がたくさん繋がれていて、標柱に
          近づくこともできません。本当の囚獄に放り込まれた気分になります…。

           
 渡辺氏屋敷跡の標柱。
渡辺囚獄佑の墓。 
 硝煙屋敷跡。猛犬が…。


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