ヴァイバートロイ城
( Burgruine Weibertreu
 別称  : ヴァインスベルク城
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: メッツ伯アーデルハイトか
 交通  : ヴァインスベルク駅徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1037年に設立されたエーリンゲン聖堂参事会の記録に、参事会員であったメッツ伯
          アーデルハイトがヴァインスベルク城に居住していたとある。アーデルハイトは、神聖
          ローマ帝国ザーリアー朝初代皇帝コンラート2世とレーゲンスブルク大司教ゲープハルト
          3世の母である。コンラート2世の在位期間は1027~39年であるため(ドイツ王としては
          1024年から)、この間に神聖ローマ帝国(あるいは王国)の城として築かれたと考えられ
          ている。
           1140年、ヴェルフ家のハインリヒ10世と皇位を争ったシュタウフェン家のコンラート3世
          は、ヴェルフ家に属していたヴァインスベルク城を包囲した。ヴェルフ6世の軍勢が後詰
          に来たが、大敗してヴェルフ6世は命からがら逃げのびた。ヴァインスベルク城は降伏を
          余儀なくされたが、『ケルン王年代記(Kölner Königschronik)』によれば、コンラート3世
          はこのとき城内の女性に限り、担げるだけの荷物を持って城を去ることを認めた。すると
          女性たちは、残っていれば死を待つのみの自分たちの夫を背負って山を下りてきた。
          この故事にちなみ、ヴァインスベルク城は「婦人の貞節」という意味のヴァイバートロイ城
          と呼ばれるようになった。
           コンラート3世は城代としてティーベルト・フォン・リーントアッハを派遣し、ティーベルトは
          ヴァインスベルク家を興した。ヴァーバートロイ城はヴァインスベルク家の居城として整備
          され、山裾には城下町が形成された。その後、ヴァインスベルク家はマインツ大司教と
          なったコンラート2世や、大侍従長となったコンラート9世などを輩出した。
           ヴァインスベルクの町は13世紀前半ごろに都市権を獲得し、次第にヴァインスベルク家
          と対立するようになった。1417年、大侍従長コンラート9世は皇帝ジギスムントの支持を
          得て、ヴァインスベルク市を支配下に置いた。なおも反発したヴァインスベルク市は、
          他の帝国自由都市と連携し1420年にヴァインスベルク都市同盟を結成した。これに対し
          コンラート9世は、ヴァインスベルク市と同盟した都市の商人らを捕えて恫喝するという
          挙に出たが、そのなかには帝国自由都市の商人が多数含まれていたため、逆に皇帝の
          不興を買ってしまった。結局、1430年に皇帝の立会いの下で講和が結ばれ、ヴァインス
          ベルク市は再び帝国自由都市として認められた。
           1450年、コンラート9世の子フィリップは、城をプファルツ選帝侯フリードリヒ1世に売却
          した。ヴァインスベルクの町は、それ以前の1440年にすでにフリードリヒ1世の支配下に
          置かれていた。1460年、ヴュルテンベルク伯ウルリヒがヴァインスベルクを窺ったが、
          フリードリヒ1世は配下のルッツ・フォン・ショッテンシュタインを送り城と町を守り抜いた。
          しかし、1504年のランツフート継承戦争では、3週間の攻囲戦の末にウルリヒが城と町
          を陥落させた。この戦いでは大砲が用いられ、主塔や城壁が多大なダメージを負った。
          そのため、戦後ウルリヒの命により新たに「厚い塔(Dicker Turm)」が建設されたと推測
          されている。
           1525年のイースターの日曜日、ドイツ農民戦争で蜂起した農民一揆勢によって城は
          占拠され、略奪・放火された。このとき、ヴァインスベルク市の高級官僚ルートヴィヒ・
          ヘルフェリヒ・フォン・ヘルフェンシュタインは、捕えられて市門の前で処刑された。彼の
          妻と幼い子は、堆肥運搬車に乗せられハイルブロンへ連行されたと伝わる。「ヴァインス
          ベルクの血のイースター」と呼ばれるこの事件は支配層の恐怖心と敵愾心を掻きたて、
          当時ウルリヒを追放してヴュルテンベルクを支配していたシュヴァーベン同盟(諸侯同盟
          の1つ)は、ヴァインスベルクを焼き討ちにして市の自治権を剥奪した。1514年にハンス・
          バルドゥング・グリーンの描いたヴァイバートロイ城の銀筆画が残っているが、1525年に
          破壊される前の城の姿を伝える唯一のものとされる。
           17世紀の三十年戦争に際して、ヴュルテンベルク公ヨハン・フリードリヒはヴァイバー
          トロイ城の修築を図り、「厚い塔」が復興され、主郭北西に埋門が設けられた。しかし、
          普請はまもなく中止された。今日、北東隅の「厚い塔」から北西隅の埋門付近までの
          主郭北辺の城壁がとみに厚いのはこのためと推測される。1634年、ヴァインスベルクは
          帝国皇帝軍によって占領されたが、戦争末期にヴュルテンベルク公に返還された。
           1707年には、ヴァインスベルク市街の3分の2を焼く大火が発生し、町の復興のために
          城跡の石材が数多く利用された。完全な廃墟となったヴァイバートロイ城は、その姿の
          まま今日に至っている。


       <手記>
           ヴァイバートロイ城は、ザウバッハ川とズルム川に挟まれた小盆地の小さな独立丘上
          の城です。低い丘に囲まれ、これをひとつ西へ越えたところにハイルブロンがあります。
          ネッカー川から東へ向かう街道筋に位置し、ネッカー川沿いを南下してきた古城街道も
          ここから東進してシュヴェービッシュ・ハルへと向かいます。
           ヴァイバートロイ城は、なんといってもそのきれいな円錐形の山容で目立つ城です。
          比高は大してなく、山というより丘と呼ぶのが正しかろうという程度なのですが、見事な
          富士山型であるうえに「ヴァインスベルク(ワインの丘)」の名のとおり、山肌をぐるりと
          ブドウ畑が覆っています。かなり遠くからでも、城跡の遺跡をはっきりと視認することが
          できます。
           城跡は、かつては有料だったのか登山口に料金表があったり、今はやっていないの
          か無人の茶店があったりしていますが、城址公園として開放されているようです。城内
          は、史跡公園としてとてもよく整備されています。ドイツ語のみではありますが、遺構の
          各所には説明板もしっかりと立てられています。
           主塔は、基部の半分ほどしか残っていませんが、そのほかの塔や外壁などは良好に
          保存されています。もっともよく残っているのは、主郭北東隅にある通称「厚い塔」です。
          ただこれは、かなり時代が下ってから建設されたものであるうえに、近代になって復元
          工事が施されたものと思われます。城内で唯一登れる塔でもあり、その上からは町や
          四周の山々に広がる一面のブドウ畑が望めます。
           厚い塔と主塔の間には、貯水槽施設も残っています。雨水を砂礫の浄水フィルターで
          濾過して貯めるものだそうです。城は螺旋状に主郭と外郭の大きく2つの部分で構成
          されているのですが、外郭の方にも貯水槽があります。ただし、こちらは単なる溜池の
          ような感じなので、飲用ではなかったものと推測されます。ほかにも、土に半分埋もれ
          た埋門や、礎石のみの御殿跡など、城跡としてみるべきポイントはいくつかあります。
           ヴァイバートロイ城は、きれいに修築されてホテルなどに転用されている古城街道の
          ほかの城館に比べて知名度は低い方ですが、訪れやすさや見栄え、廃墟具合などを
          見れば、周辺でもっとも城跡らしい城跡の1つであるといえます。
           またヴュルテンベルク地方は、ドイツでは珍しい赤ワインの産地として有名です。城の
          南東に広がる市街地には、残念ながら飲食店や物産店が多いとはいえないのですが、
          訪城の際には頑張ってお店を探して賞味されるのが良いでしょう。
 
 
 基部のみの主塔跡。
南東隅の塔。 
 厚い塔。
御殿跡。 
 主郭の貯水槽。
基礎部分のみとなった南西隅の塔跡。 
 西辺の城壁と西方の眺望。
北西隅の埋門。 
 厚い塔からの北方の眺望。


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