矢部氏館(やべし) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 矢部氏 | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : JR横浜線矢部駅徒歩15分 | |
<沿革> 矢部氏は横山党の1つで、横山新大夫孝兼の孫三郎義兼が野部(やべ)氏を称したことに はじまるといわれる。矢部氏は、建暦三年(1213)の和田合戦で、宗家横山時兼らとともに 和田義盛に与し、横山党ともども滅んだとされる。 応永二十三年(1416)の上杉禅秀の乱に際して、禅秀方の武将に矢部伊与守とその嫡子 三郎という名がある。ただし、この矢部氏が横山党一族の矢部氏の後裔なのか、あるいは 矢部氏館周辺を領していたのか等については不明である。 <手記> 矢部氏館は境川右岸の河岸上にあり、今でも土塁と堀跡がはっきりと残っています。相模 原市ではこの土塁を「上矢部の土塁」と呼称しているようで、土塁の南側に案内板が立って います。 境川を2kmほど下ると淵辺氏の館があり、また境川を渡ってすぐ北側は、秩父党に属する 小山田氏の領地でした。 館は、現存する土塁の西側一帯にあったと考えられています。土塁の外側の堀は、発掘 調査により箱薬研堀であったことが分かっています。ただ、鎌倉初期の矢部氏滅亡以降に 再び使用されたか否かについては、今なお明らかにはなっていないようです。 |
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土塁、堀跡と案内板。 館は写真の左手にあったとされています。 |
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土塁を北側(境川方面)から望む。 |