矢倉沢定山(やぐらさわじょうやま)
 別称  : 矢倉沢定山城
 分類  : 山城
 築城者: 大森氏頼
 遺構  : 曲輪跡、空堀
 交通  : 大雄山線大雄山駅よりバス
       「足柄古道」バス停下車徒歩20分


       <沿革>
           『新編相模国風土記稿』に「大森信濃守氏頼城跡」とある。現地説明板には
          矢倉沢定山城とあるが、定山とは「城山」の転訛であると考えられる。
           足柄古道脇の尾根上にあり、街道監視の目的で築かれたと考えられている。
          大森氏頼が築いたとすると、15世紀中期ごろの築城と推測される。廃城時期
          については不明である。

       <手記>
           矢倉沢定山へは、「足柄古道」バス停脇から古道をなぞった林道をしばらく
          上ります。すると、やがて右手に説明板が見えます。山の形をいくら追っても
          城跡と気付けるものではなく、この説明板を目指すよりほかにたどり着く手は
          ありません。説明板背後から斜面をよじ登ると、藪の中に堀跡と切岸が現れ
          ます。
           縄張り図によれば、大きく南北2つの曲輪からなっているということですが、
          藪が深くて今ひとつ全体像が把握できません。南郭の方は、南面する畑地に
          飲み込まれて削られているようにも見えます。北郭と思われる曲輪は、わりと
          はっきり見て取れます。北郭は、曲輪というよりは櫓台といった感じで、大して
          人数を置けるようには見えません。おそらく矢倉沢定山は、城砦というよりは
          街道筋の検問所に近いものだったのではないかと推察されます。足柄峠越え
          の街道監視のために、浜居場城とセットで大森氏頼によって築かれたのだと
          思われます。

           
 矢倉沢定山説明板。
空堀と北郭の切岸。 
 北郭を見上げる。


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