弥兵屋敷城(やへえやしき) | |
別称 : 弥兵衛屋敷城、西屋上り遺跡 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 千葉氏か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、虎口 | |
交通 : JR成田線酒々井駅または京成電鉄 大佐倉駅徒歩35分 |
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<沿革> 本佐倉城の支城ないし重臣屋敷とみられるが、詳細は不明である。 <手記> 「弥兵衛屋敷」という表記もしばしば見られますが、おそらく「弥兵屋敷」の誤記と思われ ます。小字に由来する城名と拝察されますが、その呼称からの第一印象としては、あんまり 期待はしていませんでした。しかして結論から言いますと、本佐倉城外縁の支城群のなか では、遺構の残存状況が最も良好です。 まず行き方は、経胤寺のひとつ南側の生活道路を東進します。やがて舗装が終わり畑地 となりますが、その先に電波塔が見えたら、それを目標に藪手へ入ります。電波塔の前に 来たら、左手に低い土塁が伸びているのが分かるはずです。 土塁に沿って峰先側へ歩くと、1段低い腰曲輪状の平場が現れ、山王大権現の石鳥居が あります。こちらの神社は社殿がないのか撤去されたのか、鳥居の向こうには石塔が1本 建っているのみです。 鳥居の脇から主郭の先端部分を巡るように横堀が残っていて、他の支城には見られない 大きな特徴となっています。さらに、付け根側にはより幅広の空堀があり、その中ほどには 虎口跡も見られます。おそらく当時は、ここに木橋を架けていたのでしょう。 城名からは、ここに弥兵なる人物の屋敷があったと考えられますが、それ以上に支城と しての遺構に目を見張るものがあります。本佐倉城周辺では失われた城館も多いなかで、 支城網の旧態を物語る貴重な史跡と思われるため、今後の保存や活用が期待されます。 |
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目印となる電波塔。 | |
電波塔脇の主郭土塁。 | |
腰曲輪状の平場を俯瞰。 | |
山王大権現。 | |
鳥居脇の横堀。 | |
同じく主郭先端下の横堀。 | |
主郭先端部の土塁。 | |
主郭のようす。 | |
主郭北西隅のようす。 | |
主郭付け根側の空堀。 | |
同上。 | |
空堀沿いの主郭虎口。 |