矢島館(やじま)
 別称  : 矢島の砦
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀跡、曲輪跡(発掘調査により検出)
 交通  : JR上越線高崎駅よりバス
       「浜川十字路」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           長野氏家臣矢島九左衛門定勝の居城と伝わる。定勝は、永禄九年(1566)の箕輪城の戦いで活躍し、
          長野氏滅亡の後武田信玄に召しだされた。武田氏が滅亡すると、定勝は吾妻へ落ちて隠棲し、酒造業を
          営んだとされる。
           矢島館は、周辺の圃場整備に先立って昭和五十三年(1978)に発掘調査がなされた。その結果、館の
          建築時期は鎌倉時代以前の天仁年間(1108〜09)頃にまで遡るとされた。南東1kmほどのところにある
          寺ノ内館よりも少しだけ新しいものと推測されており、古くから浜川周辺が開けていたことの証左となる
          ものと思われる。



       <手記>
           矢島館は、詳しい発掘調査がなされたものの、現在では圃場や宅地となっているため、その存在を実感
          することは困難となっています。城域は、城之内保育園の建つ周辺と思われます。
           この保育園の東西を南北に走る生活道路は、その間の保育園や畑地よりやや低いところにあり、もしか
          したらかすかに当時の名残を見せているものかもしれません。


           


矢島館周辺現況。


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