木津城(きづ) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 木津氏か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、土橋 | |
交通 : JR奈良線・大和路線・学研都市線 笠置駅徒歩15分 |
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<沿革> 在地領主木津氏の詰城として15世紀中葉までに築かれたとみられているが、詳しい経緯は 明らかでない。応仁元年(1467)に始まる応仁の乱では成身院光宣・筒井順永ら東軍の拠点 となったようで、文明二年(1470)に西軍の大内政弘に攻撃されたとされる。 乱後の木津城および木津氏の動向は詳らかでない。永禄年間(1558〜70)には三好宗渭 (政康)が入城したとされ、同十一年(1568)九月二日には、多聞院の使いが宗渭に攻撃され、 木津城北東の鹿背山へ逃げ込んだ(『多聞院日記』)。 <手記> JR木津駅南東の小高い山が木津城跡です。頂部を削平して周囲に土塁を巡らし、尾根筋を 堀切で切断した単郭の城で、郭内を中心に木津城址公園として整備されています。登山口は 南東中腹の配水池脇と北東麓の国道沿いにあります。 現地の説明板では、在地土豪らが寄り合って守備・運営していたというニュアンスの記述が ありました。たしかに構造は単純ながら郭内は比較的規模があり、土豪単独の詰城というより ある程度まとまった兵力の駐屯基地といった雰囲気にも見えます。 周囲はニュータウン化でかなり造成されていますが、こうして中世城館がしっかり保存されて いるのは嬉しいことです。 |
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木津駅前から木津城跡を望む。 | |
城山中腹からの眺望。 | |
南辺の土橋。 | |
南辺の空堀。 | |
同上。 | |
郭内のようす。 | |
北西隅の土塁。 | |
北東隅の土橋。 | |
北東隅の空堀。 |