矢野屋敷(やの)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 矢野備後守か
 遺構  : なし
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、「矢上」下車徒歩3分


       <沿革>
           三好家臣矢野備後守の屋敷跡とされる。備後守は矢上城主矢野伯耆守虎村の子
          ないし甥とされる。虎村と備後守は天正十年(1582)の中富川の戦いで討ち死にし、
          虎村の嫡男駿河守国村は同七年(1579)の脇城外の戦いで戦没した。したがって、
          中富川の戦い後に廃城となったものとみられるが、確証はない。


       <手記>
           正法寺北西の区画が矢野屋敷跡とされていますが、現況は畑や宅地となっていて
          遺構らしきものは見当たりません。すぐ西側が矢上城跡とされ、周辺には矢野姓の
          お宅が散見されます。また正法寺の墓地には、矢野家のお墓が多数あります。
           正法寺自体も、南辺が段差になっていて、土居構になっているようにも見えます。
          あるいは、備後守の屋敷以外にも、矢野一族に連なる人物の館などがあったのかも
          しれません。

           
 矢野屋敷跡比定地現況。
正法寺。 
 境内南辺のようす。


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