飯館(いいだて)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁
 交通  : JR奥羽本線湯沢駅からバスに乗り、
      「増田中学校前」下車徒歩10分


       <沿革>
           『奥羽永慶軍記』に、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて最上家臣・丹与惣左衛門が
          田子内城を攻めた際、飯館・三股を案内としたとある。現地標柱ではこの記述を以て「飯館を
          名乗る城館主が居住したと考えられる」としているが、軍記の表現は「飯館城主を案内とした」
          と読むのが妥当と思われ、その館主の名については明らかでない。


       <手記>
           成瀬川左岸の段丘角地に築かれた平城です。成瀬大橋に伴う道路により城域が削られて
          おり、道路脇に標柱が建てられています。残った部分は畑地となっていて、北辺および西辺
          には土塁の痕跡が巡っています。国土地理院地図の年代別航空写真を見ると、その南側を
          東西に走る生活道路が堀跡状の細長い畑地となっていたようです。

           
 飯館跡標柱。
郭内のようす。 
 北辺(右手)と西辺(奥)の土塁。
北西隅の土塁。 


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