中山城(なかやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR芸備線吉田口駅徒歩20分


       <沿革>
           史料にはみられないため、詳細は不明である。北東に向かい合う長見山城の支城と推測される
          が、他方で安芸高田市歴史民俗博物館学芸員の秋本哲治氏は、城跡に鎮座する中山神社(大宮
          八幡宮)の神官として毛利家臣・波多野(小南)定盛・元重父子の名が見られることから、同氏の
          居城であったとする説を提唱している。


       <手記>
           山田川に向かって突き出た細峰の先端が中山城跡で、上述の通り現在は中山神社境内となって
          います。ほぼ単郭の小城で、背後には切通しの道となった堀切跡がみられます。この堀切は竪堀と
          して落ち込んでおり、とくに西麓から見上げるとかなり立派な規模であったことが分かります。
           波多野氏の居城であったのかは判断材料に欠けますが、神社の創建が大永二年(1522)と伝え
          られることから、城の跡に神社が建てられたのではなく、神社の敷地を城砦化したものと考えるのが
          妥当なように思います。

 中山城跡全景。
主郭に鎮座する中山神社。 
 主郭のようす。
主郭背後の堀切跡。 
 堀切から続く竪堀。
竪堀を西麓から見上げる。 


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