由井氏館(ゆいし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 由井氏
 遺構  : なし
 交通  : JR線八王子駅/京王線京王八王子駅よりバス。
       「神戸」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ西党の流れをくむ由井(由比)氏の館跡とされる。由井氏は、西(日奉)宗頼の
          子宗弘にはじまるとされる。由井氏は勅使牧の1つ由井牧の別当を務めたが、次第に横山党の
          拡大に圧迫されたことや、和田合戦に巻き込まれたことで衰退した。
           文保元年(1317)、当時「由井本郷」を領していた天野新左衛門の娘で由井氏に嫁いでいた
          是勝尼が、「源三郎屋敷」の所有をめぐって訴訟を起こしている。是勝尼がこの訴訟に勝訴して
          いるが、その後の由井氏については詳らかでない。
           永禄二年(1559)、北条氏康の子氏照が大石定久の養子となったが、自領内各村への発給
          文書では「油井源三」も名乗っている。大石氏の養子となる前に由井氏を継いでいたものと考え
          られているが、詳細は定かでない。

       <手記>
           由井氏の館については今なお詳しい所在地は不明ですが、弐分方町の観音堂周辺と推定
          されています。北に北浅川を望む丘陵の東麓にあたり、往古報恩寺という寺院があったとされ
          ています。目の前を案下道(現在の陣馬街道)が東から北とまわって西へ走る交通の要地でも
          あり、南東のすぐ近くには諏訪の宿場があったとされています。
           このように館と営む条件は揃っているのですが、遺構等は見つかっていません。また、たとえ
          ここが由井宗弘の館跡だったとしても、後の源三郎屋敷や氏照が継いだとみられている油井氏
          の居館と同一のものであるかは不明です。
           中田正光氏は、『村人の城・戦国大名の城』で、観音堂背後の丘が八王子城から続く丘陵の
          北東端にあたることから、ここに八王子城の出城のような施設があったと推測しています。あり
          うる話ではありますが、あくまで推測ですので、それ以上のことは現状ではいえないでしょう。

           
 由井氏館比定地現況(観音堂)。
観音堂からの眺望。 


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