湯長谷陣屋(ゆながや)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 遠山政亮
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR常磐線湯本駅からバスに乗り、
      「桜ヶ丘」下車徒歩10分


       <沿革>
           磐城平藩2代藩主内藤忠興は、寛文十年(1670)に隠居した際、次男政亮に1万石を分知
          した。政亮は当初湯本に居住したが、延宝四年(1676)に湯長谷陣屋の建造を許された。
          政亮は遠山姓を称したが、本家に遠慮したためとも、僧侶の助言に従ったためともいわれる。
          3代政貞の代に、内藤に復姓した。
           本家や政亮の叔父政晴にはじまる隣領泉藩は後に転封となったが、湯長谷藩はそのまま
          14代を数え、最終的に1万4千石で明治維新を迎えた。


       <手記>
           湯長谷陣屋跡の大部分は、市立磐崎中学校の敷地となっています。その南東隅の、道が
          急カーブを描いているあたりに説明板と陣屋配置図が設置されています。その向こうには、
          南東隅付近の堀と土塁がはっきり残っていて、陣屋跡に来たことが実感できます。堀跡は、
          説明板から道を挟んだ北東はす向かいにも延びています。
           説明板には戦国期の館跡に築かれたとありますが、論拠は不明です。そもそも、現地は
          そこそこ高さのある丘陵の中腹で、中世の城館にしろ江戸期の陣屋にしろ、なんでこんな
          こんなところに築くのだろうというのが率直な感想です。要害性に優れているともいえず、
          経済的な発展性も望めそうになく、内藤家は比較的善政を布いていたそうですが、陣屋の
          選地については謎と言わざるを得ません。
           他方で、1つ気になったのが陣屋の南に位置する熊野神社です。境内の北辺には土塁と
          堀の痕跡が、陣屋とは別個に残存しています。また、谷に面した東詰は虎口状の開口部と
          なっています。台地の角という立地からも、もし中世に城館があったとすれば、むしろこちら
          なのではないかと感じました。
           ちなみに、湯長谷藩は映画になった『超高速!参勤交代』の舞台だそうです。

           
 説明板と陣屋配置図。
南東隅の堀と土塁。 
 南辺の堀と土塁。
 その左側は馬場跡。
説明板北東はす向かいの堀跡。 
 熊野神社裏手の堀と土塁。
土塁東詰の虎口跡。 


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