泉陣屋(いずみ)
 別称  : 泉城
 分類  : 平城
 築城者: 内藤政親
 遺構  : 城門
 交通  : JR常磐線泉駅徒歩5分


       <沿革>
           寛永十一年(1634)に平藩主内藤政長が没すると、跡を継いだ嫡男忠興は、弟の政晴に
          泉2万石を分知した。泉領はもともと忠興が父政長とは別に幕府から与えられていたもので
          あったが、両者とも城や陣屋を築くことはなかった。
           正式に泉陣屋が建造されたのは、政晴の子政親の代になった寛文八年(1668)のことで
          ある。しかし、政親の子政森は元禄十五年(1702)に安中藩へ移封となり、入れ替わりで
          板倉重同が1万5千石で泉藩主となった。
           板倉家もまた、2代勝清が相良藩へ移封となり、やはり入れ替わりで本多忠如が泉藩に
          入封した。以後、本多家が7代を数えて明治維新を迎えた。


       <手記>
           市立泉公民館のあるブロックが泉陣屋跡で、敷地の北東隅に城址碑や本多家ゆかりの
          赤玉の碑などが建てられています。手持ちの資料には土塁の痕跡が見られるようなことが
          書いてありましたが、どこのことか分かりませんでした。また、城門の1つが町内の民家に
          移築されているそうです。
           本多家は城主格だったようで、途中からは泉城と呼ばれたのかもしれませんが、いかん
          せん江戸期の陣屋なので、要害性などはとくにみられません。

           

泉陣屋(泉城)址碑。


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