座主館(ざす)
 別称  : 神谷館、妙見館
 分類  : 平山城
 築城者: 神谷氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、虎口跡、井戸
 交通  : JR常磐線いわき駅からバスに乗り、
      「中神谷」下車徒歩10分


       <沿革>
           鎌倉時代初期に神谷運隆が居住していたとされる。神谷氏は、「隆」の通字から岩城氏
          ないし岩崎氏の一族と推測されるが、その出自は定かでない。一方、運隆は妙見菩薩を
          信仰していたとも伝えられ、神谷を含む好嶋荘の預所を務めた千葉氏庶流大須賀氏との
          関連も考えられる。
           南北朝時代に入ると大須賀氏は衰退し、岩城義衡の子三郎基秀が座主館主となって
          神谷(頴谷)氏を称した。ただし、16世紀前半ごろには神谷真胤が住んでいたといわれ、
          「胤」の字から大須賀氏流のままで続いていた可能性も推測される。
           戦国時代末期、岩城氏は佐竹氏の圧迫を受けて従属し、岩城常隆は佐竹義重の三男
          貞隆を養子とした。座主館には、佐竹氏の家臣が付されて居住したとされる。慶長元年
          (1596)には、岩城氏の庶流で佐竹家重臣の車斯忠(丹波)が座主館主となった。
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、貞隆は実兄佐竹義宣とともに中立の立場を取り、
          同七年(1602)に佐竹家は北出羽へ減転封、岩城家は改易となった。これにより、斯忠も
          座主館主の地位を失い、館も廃されたものとみられる。


       <手記>
           座主館跡は野外美術館のいわき回廊美術館敷地内となっていて、基本無料で見学でき
          ます。主郭まで美術館名の由来とみられる木造の回廊が続いていて、途中には説明板も
          設置されています。
           主郭には木のブランコや木造発掘船のモニュメントなどがありますが、基本的には旧状の
          ままのようで、西辺には土塁も残っています。東辺には虎口跡とみられる開口部もあり、
          保存状況はたいへん良好といえるでしょう。主郭の北西には、美術館の敷地なのかどうか
          は分かりませんが、副郭とみられる箇所も残っています。
           美術館の駐車場は少し離れた出羽神社の裏手にあり、その手前には駒清水と呼ばれる
          井戸跡があります。この井戸は、徳治年間(1306〜07)に片寄城主片寄五郎義忠が西郷
          の城主と金澤口において合戦に及び、当地で渇きに喘いでいた際、下馬して羽黒大権現
          を拝んだところ、忽然と岩陰に清水が湧き出たと言い伝えられています。

           
 座主館跡を望む。
説明板。 
 主郭へ向かう木造回廊。
主郭のようす。 
 主郭西辺の土塁。
主郭からの眺望。 
 虎口跡か。
主郭に設置されているブランコ。 
 発掘船のモニュメント。
副郭跡とみられる地形。 
 駒清水。


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