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猪崎城(いざき) |
別称 : 横山城、龍ヶ城、臥龍城、八幡城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 塩見頼勝 | |
遺構 : 石垣、番所、井戸 | |
交通 : 福知山駅から車で10分 | |
<沿革> 天文年間(1532〜55)に、横山城主塩見頼勝の三男・利勝によって築かれたとされる。 横山城は頼勝の長男・頼氏が継いで横山氏を称し、次男・長員は奈賀山城に、四男・長利 は和久城に、そして五男・利明は牧城に拠ってそれぞれ城名と姓とした。利勝のみが父と 同じ塩見を名乗っていることから、三男ではあるものの利勝が嫡子であった可能性も考え られるが、推測の域を出ない。 天正七年(1579)八月、織田信長の重臣・明智光秀が天田郡へと侵攻し、横山城を攻め 落として猪崎城へ迫った。利勝の子・家利は敵せずとして城に火を放って落ち延びたが、 東方の川北村大砂利というところで明智方の将・林半四郎に追いつかれ、討ち死にした。 『日本城郭大系』によれば、利勝は天正七年(1579)の安土宗論で法華宗が敗れると、 臨済宗に転じて大呂村の天寧寺を菩提寺とし、絹本著色十六羅漢像を寄進したとされる。 ただし、この年に猪崎城が落城しているため、利勝が存命であったかも含めて時系列には 疑問が残る。 塩見一族の没落と共に猪崎城も廃城となったとみられるが、詳細は不明である。 <手記> 福知山城(横山城)と由良川を挟んで向かい合う半独立丘が猪崎城跡です。城山一帯は 公園化されていて、北東麓の墓地脇に城址碑と説明板が設置されています。 なんといっても主郭をぐるりと囲む横堀が特徴で、樹木がないので当時の様子をだいぶ 追体験できるのではないでしょうか。主郭の南西隅には櫓台状土塁があり、福知山城の 天守も正面に望めます。 主郭の北や南には数段の腰曲輪が付属していますが、堀切などはなかったようです。 印象的ではあるものの、そこまで規模が大きいとはいえません。分散したまま統合される ことのなかった塩見一族の、土豪の集合体的な限度を露呈しているようにも思えました。 |
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福知山城天守から猪崎城跡を望む。 | |
登城口の城址碑。 | |
主郭を巡る横堀と土塁。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
同上。 | |
主郭のようす。 右奥に櫓台状土塁が見えます。 |
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主郭から福知山城天守を望む。 | |
主郭から横堀を見下ろす。 | |
主郭北側の腰曲輪群。 | |
主郭南側の腰曲輪群。 | |
腰曲輪のようす。 |