天ヶ谷の城平(あまがやのしろひら)
 別称  : 高橋ノ城
 分類  : 山城
 築城者: 高橋氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : JR東海道本線菊川駅からバスに乗り、
      「新野」下車徒歩20分


       <沿革>
           在地領主高橋氏によって築かれた可能性が指摘されているが、史料にはみられない。『日本
          城郭大系』によれば、天文十四年(1545)に今川義元が龍源寺に充てた文書に地頭・高橋左近
          将監の名がみられるとされるが、高橋氏の出自等については不明である。
           また、遺構の状況から徳川方の高天神城と対峙した武田氏が改修したとする説も有力視され
          ている。


       <手記>
           天ヶ谷の城平は、複雑に入り組んだ南北に長い丘陵の中途に築かれています。東麓の新野
          小学校跡の駐車場が訪城者用に開放されていて、ここに説明板も設置されています。
           そこから谷筋の集落を抜けて山道を上がるのですが、肝心なところに案内がなく分かりにくい
          ので注意が必要です。向かって右手の沢筋を進むと頭に入れておくとよいでしょう。私が訪れた
          ときには入口に倒木があったのも、道を見つけづらい一因となっていました。
           無事に登りきると、北端の大堀切に出ます。ここから北へ行くと、前出の龍源寺跡に出るよう
          ですが、未訪です。大堀切から南へ向かうと、さらに2条の堀切を経て主郭に出ます。天ヶ谷の
          城平は南北2つの峰に大きな曲輪が並立し、その周囲に下位の曲輪群が付属する構造をして
          います。北側の曲輪を主郭とするのは現地の説明板に従ったもので、『大系』では主副が逆に
          なっていました。
           主郭は土塁に囲まれており、南側には喰い違い状の虎口があります。また西側1段下に横堀
          が設けられているのが大きな特徴です。主郭から2条の堀切を挟んだ二ノ郭は、主郭より広い
          ものの土塁は残っていないようです。やはり南側は喰い違い状の虎口となっていて守りは厳重
          な感じとなっています。二ノ郭の虎口を出たところで尾根は東西に分かれ、東に進むとやがて
          釜原城へ至り、西へ行くと3条の堀切を経て西端の物見台状の小曲輪があります。
           虎口の技巧や横堀の存在を見るあたり、たしかに武田氏による改修を受けている可能性は
          高いといえるでしょう。釜原城と合わせて、とくに武田勝頼による高天神城攻めでの前線基地
          として活用されたものと推測されます。

           
 東麓の谷筋から天ヶ谷の城平を望む。
新野小学校跡駐車場の説明板。 
 谷筋からの登城路を塞ぐ倒木。
北端の大堀切。 
 大堀切の南の堀切その1。
その2。 
 主郭のようす。
主郭の土塁。 
 主郭南側の喰い違い状虎口。
主郭西側下の横堀。 
 同上。
主郭部東尾根の堀切。 
 主郭と二の郭の間の堀切その1。
その2。 
 二ノ郭北側の虎口と土塁。
二ノ郭のようす。 
 二ノ郭南側の喰い違い状虎口。
虎口を出て東側の堀切。 
 同じく西側の堀切その1。
堀切から続く竪堀。 
 堀切その2。
その先の小ピークの曲輪。 
 堀切その3。
西端の物見台状の小曲輪。 


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