切幡城(きりはた)
 別称  : 神の木城、山野上北城
 分類  : 平城
 築城者: 小笠原直寛か
 遺構  : なし
 交通  : JR徳島線鴨島駅から車で25分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、阿波守護・小笠原長房の4世子孫にあたる直寛(長直)が
          築き、文永三年(1266)に秋月城へ移ったとする伝承があるとされる。秋月城を築いた
          秋月氏は、文永年間(1264〜75)に小笠原氏から後継ぎを迎えたと伝えられる一方、
          文永年中には長房がまだ存命であるため、その4世子孫というのは信じがたい。
           『阿波志』には永禄・元亀のころ(1558〜73)、森飛騨守高次が拠ったとある。森氏は
          蘇我姓を称しているが、系譜は定かでない。高次は天正七年(1579)の脇城外の戦い
          で討ち死にし、同書には伊沢城主伊沢頼俊が兵を置いたとあるが、頼俊はその2年前
          に討たれている。したがって、高次死後の切幡城の動静は明らかでない。


       <手記>
           切幡城は、柿ノ木谷川と観音谷川の合流点を南端とする細長い扇状地にあります。
          『大系』によれば、かつては東西方向の水堀があったそうですが、現状では遺構らしき
          ものは見当たりません。
           城域の北側に鎮守神社があり、その北西に石碑が建てられています。その碑文では、
          森高次は小笠原流となっていました。
           北方を望むと、遠く山中に四国八十八箇所の一つ・切幡寺が望め、その境内を山城、
          こちらを里城とする説もあるそうです。

           
 切幡城址碑。
城址碑の目印となる鎮守神社。 
 比定地南端付近のようす。


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