坊殿館(ぼうとの) | |
別称 : 坊殿少将館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 坊殿少将 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR湖西線安曇川駅よりバス 「朽木支所前」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 比叡山延暦寺山門荘官坊殿少将の館跡と伝わる。坊殿少将について、『近江城郭探訪』 では朽木氏の朽木谷入部以前の人物としているが、典拠は不明である。これが正しければ、 早ければ朽木氏の祖である佐々木信綱が承久三年(1221)の承久の乱の恩賞として朽木 郷を与えられるまでに、坊殿館は廃されていたことになる。ただし、坊殿館には庭園もあった と伝わることから、室町時代くらいまでは使用されていたのではないかとも推測される。 ちなみに、遺跡ウォーカーでは「坊殿」を「ぼうとの」と、『近江城郭探訪』では「ぼうでん」と 読ませている。 <手記> 坊殿館は、西に入部谷越の峠道が走る山裾の高台に位置しています。現在はほとんどが 工場の敷地となっていて、遺構の確認は困難です。東の迩々杵神社との境は小さな沢に なっていて、ここが館の東端であったことは想像に難くありません。 坊殿館については、伝承を額面どおり受け取れば、かなり早い段階で役目を終えたものと 考えられます。ただ、上述のとおり朽木氏入部後も使用された可能性を否定することはでき ないように思います。 入部谷越を見下ろす坊殿館南西の峰上には入部谷城や番所があったとされ、朽木谷と 琵琶湖を最短で結ぶこの峠道が、中世を通して重要視されていたことがうかがえます。峠の 先には伊黒の集落があり、ここにある伊黒城の城主も、延暦寺山門の林氏や法泉坊と伝え られています。伊黒から山門勢力が朽木谷の安曇川南岸まで伸長し、坊殿館を中心に支配 していたとする推測も、一応成り立ち得るものと考えています。 |
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坊殿館東端と推定される沢。 | |
工場となった坊殿館跡を望む。 |