長命館(ちょうめい)
 別称  : 深沢城
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、土塁、堀、土橋、切岸
 交通  : 市営地下鉄八乙女駅よりバス
       「加茂4丁目南」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           いつごろ誰によって築かれたか全く不明である。『吾妻鏡』にみられる、奥州藤原氏が
          築いた「国府中山上物見岡」の陣所を長命館の地に比定する説もあるが、現在では有力
          ではない。藤原秀衡の庶長子国衡の砦があったともいわれるが確証はない。
           戦国時代には長命氏が在城したといわれる。16世紀初頭の留守氏関連文書の中に、
          「国分勇者長命別当」という人物の名がみられ、国分氏の一族か家臣であり、長命館の
          城主であったものと推測されている。

          

       <手記>
           長命館は、七北田川南岸の河岸段丘の先端に築かれています。歴史的には全く無名
          の城ですが、遺構が良好に残っていることと、発掘調査を伴った公園整備によって、非常
          に見ごたえのある城跡となっています。松森城岩切城と同じく桜の公園となっていて、
          ちょうど訪れたときに季節遅れの満開だったので、下の写真も訪城の記録というより普通
          のお花見のようになっています。
           長命館は、大きく分けて4つの曲輪から成っていて、それぞれの曲輪は深い堀によって
          隔てられています。また、曲輪の周囲には虎口や堀、小規模な帯曲輪などが取り巻いて
          います。長命氏は国分氏の一族か家臣とみられていますが、国分氏の居城である松森
          城よりも、かなり技巧的で規模の大きな城であるように感じました。
           東南部が一部公園化によって削られてしまっていますが、概ね城の遺構が十全に保存
          されています。広い曲輪では子供が走り回り、大人は花見に興じ、物見岡では高校生が
          のどかにだべっていて、理想的な市民の憩いの公園となっています。

           
 主郭と思われる曲輪Vのようす。
曲輪Vの切岸と土橋。 
 南端の曲輪Wのようす。
曲輪Vと曲輪Wの間の堀。 
 物見岡と呼ばれる曲輪Tのようす。


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