コッヘム・ライヒスブルク城
(Reichsburg Cochem)
 別称  : コッヘム城、ライヒスブルク城
 分類  : 山城(Gipfelburg)
 築城者: エーレンフリート・フォン・ロートリンゲン
      (エッツォ)
 交通  : Cochem駅よりシャトルバスで10分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           ロートリンゲン宮中伯ヘルマン・プシリウス・フォン・ロートリンゲンの子、エーレンフリート
          (通称エッツォ:Ezzo)によって、西暦1000年ごろに築かれたとされる。文献に登場するの
          は、エッツォの長女で元ポーランド女王のリヘザが、1051年にコッヘム城を甥のハインリヒ
          1世に譲渡したときが初出とされる。ハインリヒ1世は、「狂気伯」とも呼ばれるほど激しい
          気性の持ち主で、1060年にはこの城において自分の妻を斧で殺害したといわれる。
           エッツォの一族はエッツォーネン家を称したが、ハインリヒ1世の子のヘルマン2世が嗣子
          なく没し、ロートリンゲン宮中伯エッツォーネン家は断絶した。遺されたヘルマン2世の妻の
          アーデルハイトはハインリヒ・フォン・ラーハに再嫁した。ハインリヒは城とエッツォーネン家
          の財産を受け継ぎ、後にプファルツ選帝侯となるライン宮中伯を初めて称してハインリヒ1世
          を名乗った。
           12世紀半ば、ライン宮中伯の地位をめぐってシュタールエック城主ヘルマン・フォン・シュ
          タールエックとラインエック城主オットー1世の間で争いが生じた。1151年に、コッヘム城は
          ヘルマン軍によって攻囲され、落城した。2人の相克は、ヘルマンの義兄弟にあたる神聖
          ローマ帝国国王コンラート3世(戴冠はできなかったため皇帝ではない)が援軍を派兵した
          ことにより、ヘルマン側の勝利となった。城は帝国の所有となり、これ以降ライヒスブルク
          (帝国の城)と呼ばれるようになった。
           その後、帝国の管理する城として城将が派遣されていたが、1294年にアドルフ・フォン・
          ナッサウが皇帝に選出された際、その戴冠費用を捻出するため、ライヒスブルク城は借金
          の抵当としてトリーア大司教に差し出された。結局借金は返済されず、城は大司教の所有
          となった。大司教にとって重要だったのは、城そのものというより城に付随するモーゼル川
          を航行する船舶からの徴税権であった。
           1688年に始まるプファルツ継承戦争に際して、ライヒスブルク城はライン地方に侵攻した
          フランス軍によって占領された。翌1689年3月にはコッヘムの町全体がフランス軍に占拠
          され、城には火が放たれたとされる。
           その後、ライヒスブルク城は長らく廃墟となっていたが、1868年にベルリンの実業家ルイ・
          ラヴュネが購入し、夏の別荘として修復した。1942年までラヴュネ家が所有し、第二次世界
          大戦後はラインラント=プファルツ州が管理した。1978年にコッヘム市が買い取り、今日に
          至っている。

           
       <手記>
           表題ですが、"Reichsburg Cochem"とは、各地に散在する帝国の城(ライヒスブルク)の
          うちコッヘムにあるものという意味です。日本では、同名の城が複数ある場合、たとえば
          備中松山城や伊予松山城武州松山城といったように、地名を頭に冠して区別します。
          そこで、ドイツの城の和訳にもこれを当てはめ、ここではコッヘム・ライヒスブルク城としま
          した。ですので一応、一般的な呼び方ではありません。以下では、単にライヒスブルク城と
          します。
           ライヒスブルク城は、コッヘムの町を見下ろす独立丘の頂上に築かれています。丘の東
          と南は崖に近い急斜面ですが、北と西は緩やかな斜面で一面のブドウ畑となっています。
          とても目立つところに立っているうえ、再建の際に当時流行っていたネオ・ゴシック様式を
          取り入れたためか、メルヘンチックな外観をしています。ただ、中近世に本当にこのような
          姿をしていたのかは、かなり疑問です。
           城内はガイドツアーに参加する形で見学することができます。私は、城下の城門に併設
          されたホテルに泊まり、城見たさに朝イチのツアーに参加したのですが、なんとこの日の
          初回のツアーの参加者は私だけでした。ガイドのお姉さんは、当然ですが日本人ひとりを
          相手にやりにくそうでした(笑)。この時間に登城すると、麓の町はまだ朝霧の中でとても
          幻想的な雰囲気を味わえます。とても美しく魅力的な城ではありますが、私のような中世
          城郭ファンから見るといささか作りすぎで、リアリティに欠けているような気もします。
           コッヘムは、今なおワインの一大集積地であり、町のいたるところにワイン売り場があり
          ます。日本のケチなワイナリーと違って、どこに行っても快く試飲させてくれます。ドイツと
          いえば、バーデンなど限られた地域を除いて、基本的に白ワインの産地です。私は、この
          コッヘムで初めて美味しい白ワインを味わいました。それまでは、白ワインを甘ったるい
          だけの飲み物として忌避してたのです。しかし、名物とあらば味わわない訳にはいかない
          ので、思い切って飲んでみたところ、その上品な甘さに白ワインの認識が一気にひっくり
          返りました。
           皆様も、ドイツに行ったらソーセージとビールだけでなく、白ワインもぜひご賞味されると
          良いでしょう。

           
 ライヒスブルク城近望。
ライヒスブルク城からコッヘムの町を望む。 
 コッヘムの町に残る城門。
 右隣にホテルが併設されています。
酔っ払っても鍵を鍵穴に入れられるよう工夫されたドア。 
さすがワインの町だけあります。 


BACK